補遺:Ayaseさんというクリエイターについて

前の記事に書けなかったことを。

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Re:HERO

上の記事でも挙げたが、今回Ayaseさんの話をしている発端は、マジカルミライ2023テーマソングである『HERO』である。

↓なんぼでも聴いてくれ
https://www.nicovideo.jp/watch/sm42419098

この曲は曲自体の純粋な素晴らしさだけでなく、近年のマジカルミライテーマソングの風潮を少し変え、比較的新しいボカロPさんが曲提供を行った、という点から見ても興味深い、ということも前述した通りである。
実際、マジカルミライのテーマソングを書いていない古参ボカロPさんというのはそれなりにいるわけで、あえて実名を出すとすればDECO*27さん、40mPさん、八王子Pさんなんかはまだテーマソングを出していない。

当然運営さんのお考えがいろいろあるかと思うので、素人である自分がその理由について完璧に推理することは不可能である。しかし、今回の曲から考えたことがいくつかあるので、今回はそれについてつらつらと書かせていただくことにする。
いつものボカロP紹介とは少々毛色が異なるが、是非最後まで読んでほしい。

楽曲的な特徴の推移

『HERO』にみる「ボカロPの取り込み」

マジカルミライのテーマソングは、そのイベントの性質上、ボカロを、あるいは初音ミクを象徴することが要請される。もちろんクリエイター側もそれを意識して曲を作成されているだろうし、逆にリスナー側も、そのような立場でその曲を聴くことになる。
これまでにテーマソングが作られるたび、各クリエイターが「自分の思うボカロ像」を形にしてきたわけで、その形はまさに三者三様であった。

それでは、HEROではどのようなボカロ像が提示されたのか。

これを紐解くためには、HEROという楽曲の構成について考える必要がある。
自分は、この曲が以下のような二部構成になっていると考えた。

  1. Ayaseによるボカロ像

  2. ボカロ像の「代表値」

後者の方がわかりやすいので、まずは後者について。
この曲は、二番に大きな転回がある。特に二番Aメロは、明らかにハチさんの楽曲『砂の惑星』を想起させる歌詞とメロディーになっていて、一気に視聴者を異なるレイヤーに引き摺り込んでいる。
ここから曲は怒涛の展開を見せ、それに合わせるようにMVの様態も次々変化させている。ここでは、曲の展開と同時に、「さまざまなボカロの世界観」が展開されているのである。

『砂の惑星』の要素をボカロ曲に挿入することは、それだけで大きなメッセージとなる。これは、楽曲に大きな変化をもたらすということと同義であり、同時に視聴者に異なる視点、ここでは「Ayase以外のボカロPさんの楽曲」へと転回させている。
まずはハチさん自身。そしてこれまでにマジカルミライのテーマを担当していたcosMo@暴走Pさんやsasakure.UKさん。「愛」の単語からピノキオピーさんの『愛されなくても君がいる』を想起することもできる。
またマジカルミライという視点を離れて、『Tell Your World』というボカロにおける一大マイルストーンを築いたkzさんのイメージも、その曲調から想起される。あるいは今なお第一線で活躍されているDECO*27さんを想起することもできるかもしれない。
これらの要素はなんらかの証拠があって羅列しているものではない。強いて言えば、編曲にRockwellさんが関わっていることがDECO*27さんへの手掛かりになるかな、くらいのものである。しかし我々は、なぜかそのようなイメージを想起せずにはいられない。

要は、この曲にはさまざまなボカロPさんのエッセンスが詰まっているということである。前回の記事で「ボカロPさんの隠し味」の要素に触れたが、まさにそれがふんだんに散りばめられているということもできるだろう。
これがこの曲の一番の恐ろしさである。一曲を聴いているはずなのに、そこにさまざまなボカロPさんの要素を入れ込むことで、擬似的に「ボカロPさんのボカロへの視点」の集合をとっているのである。
まさに「ボカロのテーマソング」にふさわしい神業であると言えよう。

Ayaseさんと「代表値」

この曲に限らず、Ayaseさんは物事の「代表値」を取ることがうまいと自分は考えている。ちょうど、「代表値」の曲が流行しているところであった。

『アイドル』と『HERO』には、歌詞に共通点があることにお気づきだろうか。

君は完璧で究極のアイドル

『アイドル』YOASOBI

君は僕にとってのヒーロー

『HERO』Ayase

このような「代表値を取る」という動作は、YOASOBIの「小説を楽曲にする」という楽曲作成の性質上逃れえないものである。要は、小説という、それなりに長い時間をかけて世界観を咀嚼するものを、3〜5分の曲で再現しなければならない。特定のテーマの世界観をわかりやすくリスナーに提示する必要があるわけである。

もちろん、YOASOBIの曲を作るにあたって鍛えられた部分も少なからずあるだろう。しかし、Ayaseさんにはその素養が備わっていたと思われるのが、『幽霊東京』という曲から読み取れる。

アルバム「幽霊東京」のタイトルにもなっているこの曲だが、Ayaseさんも並々ならぬ思いを込めて作ったものと見受けられる発言がいくつもあった。これまで比較的抽象的なテーマを扱ってきたAyaseさんが、初めて具体的なストーリーを楽曲に起こしたのがこの曲であると思う。

逆に、YOASOBIの曲の全てが、具体的なシチュエーションを象徴しているか、と言われれば必ずしもそうではない。これはそのシチュエーションが描きやすいか描きにくいか、というところに起因している。
楽曲というものは本来、なんらかの世界観があって成立するものであり、それはバックグラウンドに小説があろうとなかろうと変わらない。ではAyaseさんの曲の何がすごいかというと、「当たり前のことを当たり前に書く」能力である。

すなわち、アイドルや、初音ミクや、上京した人間、といったリスナーにとって想像しやすいもの、あるいは既に像ができているものに対して適切な言葉を当てはめていく力が強いのである。ここでは「読者の思い描いている(いた)像と楽曲の像が一致する」ことが必要であり、これはいわゆる「共感」というものにもリンクする感覚である。このような楽曲を、Ayaseさんにおける「代表値の楽曲」と定義しよう。
この点で言えば、例えば『夜に駆ける』は比較的抽象的なテーマを扱っているのに対し、『大正浪漫』などは「想起しやすいテーマを扱っている」という点で「代表値の楽曲」により近いだろう。

そして『HERO』では、初音ミクという、マジカルミライのテーマソングを聴きにくるような層が描いているだろう像に、楽曲という像をぶつけてきたのである。上記のような取り込みなどの工夫もあり、実際この取り組みは大成功のように思える。

必要なのは「もう一つの視点」

『HERO』という楽曲はこれだけでは終わらない。ここに、我々ボカロリスナーとしての視点が融合されることで、この曲はより立体的な性質を帯びることになる。

この曲は、Ayaseさんが主体の曲、あるいはボカロPが主体の曲である。しかしそれと同時に、ボカロリスナーの曲でもある。
初音ミクを、あるいはボカロを牽引しているのはボカロPさんだけではない。このテーマは、過去の『愛されなくても君がいる』などでも扱われているが、MIX師や絵師・動画師などMVに関わる人々はもちろんのこと、ボカロリスナーもまた、ボカロというジャンルを盛り上げる行動主体の一つである。

そしてこの曲は、ボカロPが主体でありながら、ボカロP以外の主体を排除していない。これはこの曲への共感を増すと同時に、この曲をより「代表値」たらしめているのだ。

まとめ

少々ややこしい話になったのでざっくりとまとめておこう。

  • 『HERO』は、Ayaseさんの楽曲であると同時に、さまざまなボカロPさんが暗喩的に導入されている

  • 『HERO』に挙げられるような「既知の概念の代表」をうまく捉える曲は、『幽霊東京』以降YOASOBIの活動の中で磨かれていった。

  • 『HERO』にはAyaseさんの視点・他ボカロPさんの視点と同時に、ボカロリスナーの視点も発現している。

イメージ的な特徴の推移

『HERO』の「位置付け」

『HERO』のMVを手がけているのは、『夜に駆ける』のMVも手がけた藍にいなさんである。
実は藍にいなさんは、Ayaseさんのボカロ曲にMVを作成したことはない。よってこの『HERO』という曲は、Ayaseさんにとって、既存のボカロ曲ではなく、『夜に駆ける』と同じ文脈に成立していると考えられるのではないかと思う。

この仮説には、『夜に駆ける』という楽曲の位置付けの仮説もまた関わっている。アルバム「幽霊東京」には、『夜に駆ける』の初音ミク版が(CD限定で)収められている。AyaseさんがYOASOBIとして手がける最初の曲であった、というのもあるだろうが、この曲はAyaseさんのボカロPとしての活動の延長線上にあると考えることもできるのではないかと思う。
結局この『夜に駆ける』が大ヒットし、Ayaseさん、そしてYOASOBIは一躍時の人となるわけであるが、ここの裏には初音ミクも隠れて貢献している、と捉えることももしかしたらできるのかもしれない。

それを受けての『HERO』、そして藍にいなさんのMV起用、という側面を考えると、確かにその文脈が腑に落ちる。
マジカルミライのテーマソングとしての大舞台で、この様な文脈を背負いつつ、自らの初音ミクへの想いをぶつけたAyaseさんという視点は、この曲により深みを持たせることになる。

ちなみに、この曲の書き方は上に挙げた『幽霊東京』に類似しているとも考えることができる。
おそらく『幽霊東京』の成立は『夜に駆ける』よりあとであると考えられるので、同様の文脈上で、自叙=『幽霊東京』をボカロの「代表曲」へ昇華させたのが『HERO』であると言えるのかもしれない。

『夜に駆ける』と『シネマ』と『HERO』

さて、文脈という観点に立つと、Ayaseさん、あるいはYOASOBIの3つの代表曲である、『夜に駆ける』『シネマ』『HERO』はそれぞれ異なるラインの上に存在する、と言えると予想される。
それぞれの楽曲について、もう一度整理しておこう。

  • 『夜に駆ける』
    YOASOBIのデビュー作にして大ヒット曲。この曲を契機にYOASOBI、そしてAyaseさんが脚光を浴びることとなる。上記の様に、ボカロ曲としての性質を帯びている。

  • 『シネマ』
    Ayaseさんの「プロセカ」提供曲。YOASOBIの活動を始め、ボカロから遠ざかっていたAyaseさんの「復活」となる一曲にもなった。

  • 『HERO』
    マジカルミライ2023テーマソング。上記の「大ヒットユニットのコンポーザー」としての性質を背負いつつボカロP・Ayaseとして楽曲を手掛ける。

『夜に駆ける』は、前項に書いた通り、「ボカロ曲としての性質を帯びたYOASOBI曲」である。ちなみにプロセカにも収録されていることから、Ayaseさんにもある程度「ボカロ曲」としての意識がある、という仮説が補強される。
また、楽曲的に言えばまだ「代表値」曲としての性質よりは、『ラストリゾート』をはじめとした比較的抽象的な音楽テーマの雰囲気を踏襲しており、その意味でもボカロ曲の延長線上にあると言えるだろう。

『シネマ』は、「復活」という単語にも現れている通り、Ayaseさんの「YOASOBI曲からボカロ曲への回帰」という視点が存在すると考えられる。この曲の面白いところは、歌詞的な特徴としてYOASOBIの「代表値」を有しているのに対し、音の特徴はAyaseさんのボカロ曲のそれであるところである。
この曲はボカロ曲であると同時に、Vivid BAD SQUADというプロセカに登場するユニットに提供されている曲である。その意味で「代表値」的な歌詞が非常にうまく機能している。
ちなみに歌詞のテーマは『幽霊東京』に類似しているため、『幽霊東京』のような「生身路線のボカロ曲」と捉えることもできるだろうか。

そして『HERO』は、『夜に駆ける』の逆、「YOASOBI曲の特徴を帯びたボカロ曲」である。歌詞的な意味を取り除き、形式的に捉えると、『夜に駆ける』に呼応している、一種のアンサーソングとすることもできる。
その曲調はYOASOBI曲のそれであり、歌詞の「代表値」が『アイドル』に類似していることからも、この曲は非常に「YOASOBI的」であると言えるかもしれない。誤解を恐れずいうと、「YOASOBIとしてこの曲が歌われていても不思議はない」のである。
これだけを見ると、マジカルミライという場において不適切なものではないか、と考えられるかもしれないが、上記のようにYOASOBIのバックグラウンドにボカロがある、ということを考えると、その推移も意味があることと考えられるだろうか。

『砂の惑星』と『HERO』

このボカロと生声の関わり合いの構図は、ハチさん、あるいは米津玄師さんが2017年に通った構図である。

『砂の惑星』の発表以前も、「米津玄師」名義で『ピースサイン』『LOSER』『アイネクライネ』などの大ヒット曲を連発しており、Ayaseさんと境遇がやや似ているということになる。
『砂の惑星』は米津玄師さんのアルバム「BOOTLEG」に収録されていることもあり、「米津玄師」としての活動にもかぶる部分がある。

当然『砂の惑星』の文脈には、当時のボカロをめぐる空気感、そしてボカロというジャンルを太古から支えてきたという事情が存在するわけで、それが『砂の惑星』をボカロにおける一種の伝説へと押し上げたのであるが、それを現代の空気感で、そして現代の文脈で切り返したのがAyaseさんであったのだろうか。

『砂の惑星』が描いたのが未来への「期待」であったとするのであれば、
『HERO』が描いているのは未来への「希望」なのかもしれない。

これらの背景を踏まえると、今年のマジカルミライのテーマソングをAyaseさんが担当した、という事実もまた別の奥行きを有してくるのではないかと思う。

まとめ

  • 『HERO』は『夜に駆ける』の延長線上としての文脈を有している

  • 同様に『夜に駆ける』『シネマ』『HERO』を見ると、それぞれ独自の文脈を持っていることがわかる

  • これらのバックグラウンドは、『砂の惑星』にも通じるところがある

Ayaseさんというクリエイターについて

今回の一件を受けて、自分は「Ayaseさんという人は、つくづく素晴らしいタイミングで素晴らしい運命が回ってくるものだ」と痛感した。

当然それには、Ayaseさんの実力というのも深く関わっている。これまでのAyaseさんの楽曲を聞けば、それらの奇跡的な偶然を引き付けるのも納得の実力があるのは容易に理解ができる。

しかし、『夜に駆ける』のもとになった楽曲制作プロジェクト、YOASOBIとしての活動をしばらく行なったのちのプロセカでの復活、そして初音ミク16歳というタイミングでのマジカルミライテーマソングへの採用。
これらの事象は、全てAyaseさんの実力に裏打ちされた奇跡とも言える偶然であると思う。そしてAyaseさんはそれら全ての期待を、その期待を大きく超える形で毎回打ち返してきた。

アニメのタイアップだってそうである。自分は『アイドル』のリリースと『HERO』のリリースが同じ年になったことにも何か縁を感じずにはいられないが、この曲をはじめとして『怪物』『祝福』など、さまざまな素晴らしいタイアップを世に送り出してきた。

「小説」という、文脈からなるものを基底とし、世の中にあるさまざまな「文脈」を活かしつつ成長し、成立していくAyaseさんというクリエイターは、まさに最強のクリエイターと言えるのかもしれない。

そしてそのクリエイターの隣には、「本物のヒーロー」たる初音ミクが存在しているのである。

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