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【平家物語】巻03_18 法皇被流


11月17日の大量解官で清盛の怒りは終わるわけではなかった。
20日には、院の御所である法住寺殿を宗盛が率いる平家の軍勢が囲む。
平治の乱で信頼の邸が焼き払われたように、院御所も焼かれるかと人々は動揺したが、この軍勢は、後白河院を鳥羽の地へ幽閉するための迎えであった。

後白河院は観念して、ただし宗盛へ供をせよと言うが、清盛の怒りを知っている宗盛は応じない。後白河院は、院への忠節を尽くした重盛に比べ、宗盛は劣った者だと嘆息する。
院の鳥羽行きは、近侍する紀伊二位の尼以外と、ひとりの下僕以外は供のいない、寂しいものであった。

こうなるともはや明日をも知れぬので、身を清めておきたいと院は願うが、
行水の用意すら容易には手に入らず、なんとか幽閉先に紛れ込んだ近習が手ずから薪を準備する有様だ。

このような院の状況に、心を痛める人々もある。かつて鹿ケ谷事件のあとに清盛へのとりなしの使者となった静賢法印は、特別に清盛の許可をもらって院のもとへ馳せ参じ、その不遇を慰め励ます。
また、院の子である高倉帝は、衝撃のあまりに食事も喉を通らず、悲嘆にくれるのであった。

近臣をイケニエに差し出しながらものらりくらりと清盛の怒りをかわして来た後白河院ですが、重盛の死への扱いが最終的な引き金になって清盛はマジギレ。後白河はついに窮地に陥りました。

ついて来いという院の命令に宗盛が従わないというシーンがありますが、常に弱者側に同情的なのが平家物語の地の文ですから、ここでも院に同情的です。でも、直前の章段を見てると、今になって「重盛はちゃんとしてたのに宗盛は頼りない」みたいなコト言ってる後白河院に対して、「いやいやいや、そのちゃんとしてる重盛の遺領をごっそり没収したのはアンタですぜ…」と言いたくなるわけでして、読み手としてはそこまで後白河院に肩入れできないなーって思っちゃいます。

作者側も本気で後白河院に同情してるわけでもないと思うんですよね。
面と向かって批判はされてないけど、でも同時代人的にはやんわり非難するニュアンス入ってるのかもなーと思えます。
静賢が訪問するシーンで「訪問したら、後白河院が声をあげて読経してて、その声がすっごい」っていう描写があるんですけど、「信心深くて素晴らしい」っていうニュアンスだけでなく、どこか「やっぱこの人ちょっと普通じゃないよね」的なメッセージを受け取りたくなる。

さて、後白河にくっついている尼さんのことですが、紀伊二位というのは、信西の奥さん。後白河の乳母でした。
ただ、この女性は1166年には死去しているので、1179年11月の時点ではいないはずなんですよね。なのでまた別の尼姿の女房である可能性が高いです。また、この章段では父親想いキャラとして高倉帝が登場します。
同じ後白河院の子でも、父院に面と向かって歯向かった二条帝と比べると、平家物語は高倉帝を「いい人」的に描いてます。
平家物語って、二条帝への当たりがちょっとキツい印象があるんですよね~。