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【平家物語】巻03_05 大塔建立


中宮徳子が無事男子を出産したこ功を労い、祈祷を行った寺・僧侶たちへの勧賞が行われた。なかでも、清盛夫妻が祈願行った安芸の厳島神社は、その祈願の直後に御懐妊が判明したこともあり、もっとも効験あらかただったといえる。
さて。そもそも平家一門と厳島神社とのつながりはいつから始まったのかというと、それは清盛が安芸守だった鳥羽院の時代にさかのぼる。
当時清盛は高野山の大塔修繕の命を受けていたが、そのとき、夢のお告げで「荒れ果てた厳島を修理せよ」の声を聞いた。そのことを鳥羽院に奏上し、厳島修繕に着手したのだ。
鳥居を建て替え、社を再建し、美しい回廊を整え修繕を終えた夜、童の姿をした神の使者が現れた。

使者は清盛に銀の蛭巻を施した小長刀を与え、「この剣を持ちて朝廷の守りとなれ」と、彼の栄耀を約束した。
「ただし、悪行に至ったとき、その栄えは尽きる」との言葉も残して。

平家物語定番の「突然過去の伏線公開」回です。
今回は、清盛と厳島神社との付き合いの始まり物語。
それにしても、清盛たち、しょっちゅう「悪いことしたらあかんよ」って釘さされてるのね。でも清盛はブレーキきかなかったわけですな。仕方ないよね。「悪行」かどうかの自覚もなかっただろうし。
今回は「蛭巻の小長刀」がどんなものかわかんなくて悩みました。
「銀の蛭巻」はすぐわかったんだけど(ヒルが巻きついたみたいにシマシマに銀を巻きつけるので「蛭巻」と呼ぶそうな)、「小長刀」ってのが、「短いナギナタ」でいいのか自信なくて。
結局資料が見つからなかったので、1Mくらいの短いナギナタとして描きました。
あと描くのにちょっと考えたのは、童形の天人ですね。「こどもの姿だけど、表情がおとな」にしたかったのですが、そう見えるといいな。

さて今回の「大塔建立」では、寺社への勧賞の中で、天台座主覚快法親王(鳥羽院の息子。明雲失脚のあとに座主になった。)が二品の位と、牛車のまま宮中に入る許可をリクエストして、でも断られたので、別の恩賞に変えたという話がさらっと出てきます。
次の章段「頼豪」は、この「恩賞をリクエストしたら断られた」つながりで引き合いに出された、平家物語の時代よりも過去のエピソードです。
平家物語って、こんな風に「あ、〇〇といえば昔こういうことが…」と突然昔語りを始めるので、たまに混乱するんですよねぇ。