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【平家物語】巻01_08 額打論


父・後白河の院政に対抗し、天皇親政への移行へ果敢に挑戦した二条帝であったが、在位わずか7年、23歳でこの世を去る。
花がつぼみのまま散ったような生涯に、后妃たちは涙した。
その御葬送において、「額打論」という事件が起きる。御陵には四方の門に有力寺院の額がうたれる(=掲げられる)ことになっていた。
第1は勿論東大寺。第2は藤原不比等の発願寺である興福寺、3番目が延暦寺、4番目が園城寺である。
しかし何を思ったのか、延暦寺が興福寺の前に額を打ったのだ。興福寺門徒が対応を論議している間に、興福寺評判の悪僧2名が延暦寺の額を叩き割るという事態が発生。事態はさらに悪化した。

額板です。悩んだのは額板。インターネットでいろいろ見てまわり、宮内庁ページの天皇陵一覧まで見てきましたが、四方の門についても、そこにかかる額についてもよくわかりませんでした。額が横長なのか縦長なのかもわからない~。
四方に打つって言っても、どこなんだ~! そこまで大きくないじゃん!……とりあえず、お寺の門を参考にしました……。ところで。
寺社の額をかけたという平家物語のこの記述からも、二条天皇は仏式で葬られているんじゃないかと思うわけです。でも今残ってる二条天皇の「香隆寺陵」は見た目は鳥居とかあって、神式。でも名前に「寺」って入ってる。これが神仏混淆ってやつなのですかね。

この章段、現代の感覚だと、何がそんなにオオゴトなの?って思っちゃうような、しょーもない子どもの喧嘩みたいな話ですが、このあと尾を引いて大事件に発展します。

あっ、そうだ、書き忘れてました。
二条天皇にも先立たれた多子(まさるこ)様ですが、彼女がかつて近衛天皇の妃だったときのライバルが藤原呈子様。この人は後に女院となり、九條院と呼ばれます。義経のお母さん・常盤は「九條院雑仕 常盤」などと書かれますが、常盤はこの呈子様にお仕えしていました。