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【平家物語】巻01_10 東宮立


二条帝が病を得た時点でその御子・六条帝が即位していたが、帝の死後、その皇太子には後白河院の御子であり、二条帝の異母弟である親王が就く。
こうして政権は、天皇親政を目指した二条側から、また後白河側に戻ることとなった。
六条帝は僅か五歳で、元服前に譲位。ここから平家繁栄の土台となる、高倉帝の御世となる。
この帝の生母は、後白河院の寵妃・東の御方。のちの建春門院。
彼女は清盛の正妻・時子の妹であり、ここで清盛は朝廷内での発言力を一段と増す。
人々は清盛を「平関白」と呼んだ。

六条帝の生母は身分が低く、そのため二条帝の中宮・藤原育子(前々回に登場した二代后・多子は中宮ではないのです)が養母となってました。この育子の後見は藤原忠通。しかし六条帝誕生の年に忠通は亡くなっています。
忠通の子どもたちは年若く、しかも平家と親しい。
その平家の長である清盛が後白河と協調路線を選んだ流れで、六条帝は見捨てられる恰好になって退位に追い込まれたわけですね。
この六条帝はそののち、元服もしないまま(体調の問題でできなかったのかもしれないけど)、十三歳で夭折。薄幸です……。

当事者たちはまだほんの子どもであるものの、高倉帝は六条帝から帝位をもぎ取る格好になったわけですが、なぜかこのふたりの御陵はお隣同士。
ライバル関係だったのに?と思うわけですが、どちらも清盛が背後に付いてたので、そういう意味では並んでいても違和感はないのかも。
ちなみに、清閑寺は東海道から京へ入っていくときの入り口のような場所にあり、清水寺とは小さな山を挟んでお隣同士、っていう位置ですが、清閑寺はもともとは延暦寺の系列。前回お伝えした通り、清水寺は興福寺系列なので、そんなに仲良しな関係ではなかったのかな。

美女と呼ばれた人を描くのは、キンチョーするけど楽しいですね。今回は建春門院・平滋子です。華やかで意志が強そう、ってイメージで宮沢りえ様系にしたかったんだけど、いかがでしょう。
この先も小督・小宰相など美女が続々登場するので、美女のバリエーションを増やしておかないと……
基本的に、髪型はみんな似たり寄ったり。成人した髪型は前髪で変化をつけることができないので、難度が高いですわ~。