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【平家物語】巻03_06 頼豪


かつて白河帝の御世、帝はご寵愛の中宮・賢子腹の皇子誕生を願い、三井寺の阿闍梨・頼豪に祈祷を命じた。
頼豪の百日の祈りの効果か、中宮はその百日のうちに後懐妊、1074年に敦文親王が誕生した。当初の約束どおり褒賞を授けようとする帝に、頼豪は三井寺での戒壇建立への許可を願う。

しかし、三井寺(寺門)の戒壇建立を許可すれば、延暦寺(山門)が反発し、争いを招くのは必至。白河帝は、その許しは与えなかった。
失意の頼豪は、三井寺に帰り、そのまま何も食さず、餓死しようとする。
命がけで呪いをかけ、自らの祈りで誕生させた敦文親王を道連れにしようというのだ。その話を聞き驚いた帝は、大江匡房を派遣し、説得に当たらせたが、頼豪は持仏堂に篭り、ついに面会謝絶のまま餓死を遂げた。
敦文親王は四歳で病死するが、枕元には白髪の老僧が立っていたという。
その後、今度は、三井寺とは対立する延暦寺から招かれた円融坊の僧都が、ご懐妊の祈祷を行い、1079年に皇子が誕生した。これが後の堀河帝である。
このように僧の怨霊は恐ろしい存在であり、俊寛を赦免せずに恨みの種を残したことに不安は残る。

僧侶を怒らせるとあとがコワいぜー、という話のつながりで、平家台頭よりも百年ほど前のお話です。
1074年ってのがどんな年かというと、藤原頼通や彰子の没年。おおーっ「ザ・平安」!ってカンジしますね。(それにしてもこの二人、長生きだ…。)
藤原賢子は藤原頼通の子・師実の養女で、本当の出身は村上源氏。摂関家の娘ではない彼女が白河院の寵愛を得たことで、実父・源顕房の宮廷での地位が上がり、摂関家の存在感が徐々に削られていくわけです。
そんな賢子さん、白河帝にめっちゃ愛されてます。
彼女は28歳で病死するのですが、白河帝は彼女の遺体の傍から離れようとしなかったそうな。
彼女は四歳で死亡した敦文親王と堀河帝のほか、3人の皇女を産みましたが、その中の長女・テイ〔女是〕子内親王が母親そっくりだったそうで、白河院はこの皇女を溺愛、彼女が若くして病死したときに、その悲しみで出家してしまうのでした。
とまぁ、そんな風に白河院が純愛?捧げてた女性なので、かわいいなーやさしそうだなーはかなそうだなーみたいなタイプにしてみました。
実際はどんな女性だったんでしょうね。〔女是〕子内親王は温和で可憐なタイプだったみたいですが。

あとは頼豪ですね。頼豪は皇子を呪い殺して終わり、ではなくて、その後大きな鼠の化け物になって、比叡山に駆け登り、にっくき延暦寺(頼豪は三井寺のひとなので、延暦寺とはめっちゃ仲悪い)の大事な経文を片っ端から食い破った…という伝説もあります。っつーか、そんな言われようまでするって、よっぽど怨徹骨髄の風情で亡くなったんですかね。そんな伝説があるので、こっちはネズミっぽい顔立ちにしてみました。こわいっすね。私も描いててこわかった。
でも、戒壇建立は、頼豪も無茶な願いだってわかってたと思うんですよね。なのに、ダメって言われたときに「ですよねー」って引き下がらずにそこまでの強硬手段に出たってのは、「舐められてる・侮られてる」って空気を感じたからなのかなと勝手に思いまして、それで貴族たちがちょっと「けっ」ってしてる描写を入れてます。

それにしても、巻き添えくった親王がかわいそうですね。この話の中では、「最初の皇子は亡くなったけど、そのあとのちの堀河帝が生まれました。やれやれよかった。」とでも言いたげな終わり方ですが、産んだ母親の身になったら、ひとりひとりが大切な我が子。そんなもんじゃないですよね…。