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【平家物語】巻03_15 金渡


8月に重盛が病死したのち、清盛は福原に戻って屋敷に閉じこもっていた。しかし、11月になると、清盛が数千の軍勢を率いて都へ上るという噂が都に届く。
藤原基房は自分を失脚させるつもりで攻め上って来たのだと高倉帝に陳情するが、帝にも清盛の怒りを収めることはできない。
後白河院も急ぎ静賢法印を使者にし、清盛をなだめようとするが、清盛の怒りは凄まじく、静賢の辛抱強く落ち着いた説得にも収まる様子はなかった。
しかし世間の人は、清盛の怒りを目の当たりにしても
冷静に理を説こうとした静賢の態度を賞賛した。

福原へ赴いて清盛をなだめようとした静賢への、清盛の反論は主に
1)身を粉にして国事に尽くしてきた重盛が亡くなったのに、後白河院は管弦の遊びや御幸などに興じ、哀しみ嘆く様子もない。
2)1)でありながら、重盛の知行であった越前国を死後にとっとと召し上げた。
3)中納言の欠員があったときに、清盛娘婿である藤原基通を推薦していたのに、関白藤原基房の子(師家)を中納言にした。
4)鹿ケ谷の陰謀も、院の近臣が勝手にやったことではなく、院の承認があってのことのはず。
です。

このシーンの清盛、すっごく好きです。
一番真っ先にぶつける彼の怒りは、「あんなに後白河院に忠実だった重盛が死んだのに、管弦で遊びほうけやがって、バカにしてんのか!」なんですよね。
ブチキレ寸前だった清盛を最後に完全にブチっと切れさせたのが「うちの息子を何だと思ってるんだ!」っていう怒りだってのが、もう『平家物語』の、感情で動く人・清盛らしくって、愛しくって。

ここで2)以降をちょっと補足します。
2)の所領没収。この数ヶ月前には、清盛の娘で、藤原基通の父親である基実の妻だった盛子(基通の母親は別の女性)も没しています。その際も彼女が亡夫・藤原基実から相続した所領は院に没収され、基通に受け継がれることはありませんでした。そのあとに、またしても重盛の所領が…という状況です。
次に、3)の基通が中納言になれなかった件について。
ちょっと前の章段「公卿揃」で、基通が若年でありながら二位中将に昇進し、周囲はドン引きだった…という話が出ていました。しかし今回、基通(19)を追い抜いて中納言の座をGETした師家クンは8歳。だから、基通が中納言になれなかったのは、「実績を積んでから頑張ってね」みたいなまっとうな話ではなく、2)の所領没収と合わせ技の「清盛の姻族である基通は外し、基房のほうを重用する」という後白河院の態度表明であるわけです。
後白河院、完全に清盛サイドを煽ってますわ…(笑)。
清盛としては、4)の「鹿ケ谷のときに、明らかに後白河も加担してただろうけど、敢えて見逃してやったのに、もう絶対許さん!」ってなっちゃいますよね。

ここからはちょっと清盛に肩入れした解釈ですが…
清盛にしてみれば、鹿ケ谷の時点で後白河院にかなり腹を立ててて、それを諌める重盛との仲がぎくしゃくしてたわけです。
で、重盛はそれを気に病んで、院と父親の板挟みで生きてくのはつらいって言いながら死んでいった。清盛はそういう我が子の死に方が可哀想でしょうがない。なのに、元凶でもある後白河院のこの無神経ときたら…!!
…って感じなんでしょうかね。
感情が抑えられない清盛、いいわ~好きだわ~。

こんな清盛に対して、静賢は「お怒りはごもっともです」とまるでいったんクレームを受け止めるコールセンターのお姉さんのように対応しつつ、しかし、世の中の無責任な風聞を信じて院を恨むなんていけませんよ、となだめるのです。
読者の私ですら、「ぜってーこれ後白河院本人の意志でやってることじゃん。風聞とかじゃねーし!」と思うわけですが、まぁ静賢法院も「あの人、そんなに深く考えずに無邪気にやってるだけなので、もう十分ビビってるから許してやって」とは言えないですもんねぇ。
そんなわけでフォローにならないフォローで清盛をなだめようとするわけですが、清盛も堪忍袋の緒が切れた状態ですから、院は百歩譲って許してもその近臣連中は許さん!とばかりにここから怒りの鉄槌が振りかざされるのです。