日蓮大聖人の言葉『瑞相御書』ずいそうごしょ 19


人の悦び多多なれば、天に吉瑞をあらはし、地に帝釈の動きあり。人の悪心盛んなれば、天に凶変、地に凶夭出来す。瞋恚の大小に随ひて天変の大小あり。地夭も又かくのごとし。

文永12年(1275)2月執筆 
『昭和定本日蓮聖人遺文』875頁

(訳)

人々の悦びが大きければ、天には吉瑞があらわれ、地にはめでたい帝釈の地動瑞(善きことの前兆として、世界が上下・左右など六種に震動する)が起こるのです。しかしながら、人々の悪しき心が盛んになれば、天には不吉な天変が現われ、地には不祥な地夭が起こるのです。また人々の懐く怒りの大小にしたがって、その現われる天変にも大小があるのです。また地夭にも同じように、大小の別があるのです。

(解説)

 本書は、末尾の宛名が欠けているため、対告衆(受け手)は不明です。しかし、日蓮聖人がたびたびの御供養に対して感謝を記されていることなどから、檀越(信者)である四条金吾へのお手紙と見なされています。題号にある「瑞相」とは、めでたいしるし、前兆などの意味であり、本書においても、仏法興隆の「瑞相」を詳しく説いており、法華経の教理から見る「瑞相」について明かされており、末法においては法華経が流布することを説示しています。
 正嘉元年(1257)の大地震と文永元年(1264)の大天変(大彗星)は、神武天皇以来の九十代、二千余年の間、日本国にはいまだかつてなかった天地の変災であると言います。そのことを記したうえで、冒頭に挙げた一節へと続きますが、「原因」と「結果」という〝因果〟の論理構造が示されているのです。

(思うところ) 

人々の悦びがあれば、天も地もプラスの働きをし、人々の悪しき心が多ければ、天も地もマイナスの働きをすると明かされます。天地(果)が穏やかであるためには、そこに住する私たちの心持ち(因)がたいへんに重要となるのです。つまりは、私たちの心の働きが、天地のメカニズムと相通じているということでありましょう。
私たちの心の状態における「瞋恚」(怒り恨むこと)の大小によって、天変に関わる自然災害の規模が大小となって連動することを、指南されているのです。

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