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1月23日 老年の女たちの読書

訪問朗読先の方から、あなた好きそうだからと本をいただく。視力が弱く自分では文字を追えないので、数人が彼女の家を訪ねて本を読む。週一の朗読シフトから昨年、私は外れたが付き合いはそのまま続いている。彼女は小説は好まず、エッセイや評伝、紀行文が主で、一朗読者が一冊、最後まで読み切る。
リビングには彼女の読書家の友人が持ち込んだ本が山と積まれている。私は手にしたことすらないものばかりで、世に出まわる本というものの多様さに圧倒される。大型の書店で本に囲まれるのとは一味ちがう、70代の1人の女が読みたいと望み、手に入れて、読まれてさらに人に勧められた本。

母親も60を過ぎたころからよく本を読むようになり、私が読んだなかでおもしろかったものを貸すようになった。哲学書はよくわからないというので、好みそうな本を選ぶと、喜んで読んでいる。
70を迎える母は店と農業を営み、習い事もあるので暇ではないはずだが、送られてくる感想から計ると読むスピードははやい。野菜の届け先に趣味の合うマダムがいて、本を貸し借りするなか、又貸しされている私の本が趣味に合い、選び方が気になって私に会いたいというそうだ。

もうひとり。小鳥が粟粒から日々の栄養を得るような、必要な本を直覚的に選び、少し読む女性を知っている。病を得てからだがつらい日も多く、その傾向はつよまった。彼女はいま、本にどれくらい求めているだろう。

40歳の前後に、人生に行き詰まりを感じて、本に答えを求めてむさぼり読んだ時期があった。じきに50を迎えるいまは読書量や、姿勢としては変わらないが、切実さは少しゆるやかになった。

しかしこのような女たちにふれ、自分が70をすぎたらどうなるのか興味をもった。前の2例については、本だけというよりは人にも興味を失っていないのもおもしろい。
もう一段老いを深めて、不安に苛まれるのだろうか。そのときも自分は本に答えを求めるのだろうか。

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