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きゃりーぱみゅぱみゅ様note開設記念。ワタクシ、きゃりーぱみゅぱみゅ様に救っていただきました。

アメーバでずっと書いてる。それも、もともとは、きゃりーぱみゅぱみゅ様がアメーバでブログを書いてらしたから。きゃりーぱみゅぱみゅ様からもうアメーバでは書くことはないって言われた時は、神戸にお墓が立ったが、それでももう途中で辞められないので続けてる。

今回はきゃりーぱみゅぱみゅ様がnoteでブログを始められたので、それに伴い、ワタクシも書き始めることにするのであった。ちなみにきゃりーぱみゅぱみゅ様のブログがあるLINEブログにも登録はしてあるぞっ。


単純にきゃりーぱみゅぱみゅ様を知ったのは、「つけまつける」の時。

もともとテクノポップ、YMOから始まってるワタクシの音楽探求の人生だから、中田ヤスタカ御大の作るシンプルなテクノミュージックには、好感を抱いていた。

だが、その程度だった。中毒曲、麻薬曲だよな~、程度だった。

いつでも来てみな。きゃりーぱみゅぱみゅ様さえ居れば怖いものなどない。

それが本格的にきゃりーぱみゅぱみゅ様にイカレちゃったのは、ワタクシが頸椎ヘルニア(首)になった時である。

一度椎間板ヘルニア(腰)もやっていて、その時も死ぬかと思ったほど痛かったが、精髄注射でなんとか事なきを得た。

だが、頸椎ヘルニアはそうは行かなかった。激痛が常時襲ってきて、右手に力が入らないのだ。しかも動かすだけで痛い。なのに同じ姿勢を保っていることが出来ず痛い。

レントゲンとかMRI撮る時、じっとしてと言われたんだけど、この時の医者を未だに恨んでいるぐらいだ。痛くて死ぬかと思ったわ。医者は人の気持ちなどお構いなしだと知った。

心の底から助けてくれと叫んでた。この状態がずっと続くなら、真剣に自殺した方がマシだと思った。

病院に通って、もちろん注射も打ってもらったし、眠れないので睡眠薬、痛み止めはどんどんエスカレートして、ガン患者用のものを処方された。そして副作用を抑える薬とか。薬漬けという言葉の意味を知った。

ちょっと盛っていうけど、ほぼ麻薬だった。医者には、毎日通って状況を説明しろと言われ、絶対に薬を勝手に増やしたり辞めたりするなと厳命された。

それでも辛さは変わらなかった。起きてて痛く、横になって痛く、痛いから眠れない。マジで死を覚悟したわ。

その時にワタクシの気を紛らわせてたのは音楽だった。もともと音楽が好きでずっと聞いてたんだけど、この時はもう必死で聞いてた。

オーティスもストーンズもパーカーもロバート・ジョンソンもコルトレーンもドルフィーも聞いた。JAGATARA聞いてニューエストモデル聞いてパーラメント聞いてジェイムス・ブラウン聞いてボブ・マーリー聞いてカルトーラ聞いてユッスー聞いてサリフ・ケイタ聞いてキング・サニー・アデ聞いてフェラ・クティ聞いてシェフ・ハレド聞いてエルフィ・スカエシ聞いてパパ・ウェンバ聞いてYMO聞いてきた。

そして辿り着いた。

いつもまだ聞いていない宝があると思って知らないものも積極的に聞くんだけど、そのときにきゃりーぱみゅぱみゅ様がドンピシャはまった。

恥ずかしいが、最初はNHKの「おかあさんといっしょ」で聞いていたりょうこおねえさんの歌のイメージだった。シンプルなメロデー、分りやすいリズム、はっきりと届くキラーな歌詞。でも何かひっかかってずっと聞いてた。

それまではバード(チャーリー・パーカーさま)が連れて行ってくれてた天空に、きゃりーぱみゅぱみゅ様がその奥まで連れて行ってくれた。

きゃりーぱみゅぱみゅ様を知らない世界から、きゃりーぱみゅぱみゅ様の存在する世界に移り住んだ。

当時は2ndオリジナルアルバム「なんだこれくしょん」がでて暫くした時だった。

youtubeで聞いて、子供連れて(まだ一人では恥ずかしかったのもあるが、付き添いが居なければ外出も不安だったのだ。)レンタル屋さんに行ってレンタルした。どうしても欲しくなって中古買った。やっぱり新しいの欲しくなって新品買った。最初から買えよ。(笑)だからきゃりーぱみゅぱみゅ様は同じCDが何枚もある。レコードまである。

病院以外で外に出る、ということもきゃりーぱみゅぱみゅ様を知らなかったら出来なかった。それが適度な刺激になって良かったということもあったんだろう。

きっと脳ミソが「ファッションモンスター」聞いて、寝てる場合じゃね~、躍らなきゃ~、ということではたらく細胞を総動員してくれたと思う。

もうきゃりーぱみゅぱみゅ様ばっかり聞いてた。

そしていつしか眠れるようになり、痛みも収まってきた。なにより前向きな気持ちが甦ってきた。

余談だが、この時、一瞬勝手に薬を辞めてラリるという経験と禁断症状の経験をしている。(笑)

劇的に良くなっていった。

まだまだ握力とか戻ってくるまで1年ぐらい掛かったので、これ以降もずっときゃりーぱみゅぱみゅ様を聞くことになる。

そして今もすっと聞いてる。多分ずっと聞いてる。死ぬまで聞き続ける。

きゃりーぱみゅぱみゅ様がくれた奇跡だと今も信じてる。だから今、右手が動いてこうして文章打てる。

そして、さらに、実は、きゃりーぱみゅぱみゅ様はこのあとの事故の時も救ってくれてる。

既に奇跡の中で生きていたワタクシ。改めてきゃりーぱみゅぱみゅ様に感謝と全てを捧げます。

(文章重複してる。(笑))

だからもう既に奇跡を二回も受け取ってるのである。

きゃりーぱみゅぱみゅ様にほんの少しでも恩をお返しするために、もう一生きゃりーぱみゅぱみゅ様に捧げるのであった。

きゃりーぱみゅぱみゅ様、本当にありがとうなのです。

(この文章はアメーバのトップに置いている文章に加筆修正したものです。)



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