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童貞のコンプレックスを克服した話

こんにちは、KYです。


現在4時42分です。もう4時には目覚めてしまったので、散歩しながらボイスログを録っています。先ほど、バイクで歩道を走っているDQNがいて、警察がそれを追いかけていてすごく怖かったですね。そんなことがありましたが、今日もいつとの河川敷を歩きながらお送りいたします。

今日は専門学校で振られた話をしようと思います。あと、そこからの恋愛遍歴についてもお話しします。僕は昔、ナ•パをしていました。ナ•パ師に弟子入りしていましたが、元をたどると僕はめちゃくちゃ陰キャだったんです。恋愛に対してコンプレックスがあり、それはなぜかというと、全然モテなかったからです。コンプレックスの原因は、中学高校が陸上部でゴリゴリの体育会系だったからです。

だから、本当に出会いがなかったし、モテるタイプでもなかったので彼女ができなかったんです。終始いじられキャラみたいな感じで、彼女作るのは難しかったですね。

そして、専門学校は技工士の学校に行っていたのですが、そこで久々に女性と話す機会がありました。その中の1人に黒子のバスケが好きな子がいて、結構技工士ってオタクの人が多いので、その子もいわゆる腐女子•黒子のバスケとか「うたのプリンス様」が好きなタイプでした。コスプレするのが趣味の女の子で、結構話が盛り上がりました。で、イケるって謎の自信を持った僕は中学高校の奴らを見返すために、彼女が欲しさで入学3日目くらいで告白しました。

それで電話で告白したのですが、案の定撃沈。しかも専門学校ってクラスがずっと一緒なので、言いふらされてしまい、周りからも浮いて、同級生の男子からはいじられるようになりました。まだ3日くらいしか経っていないのに。


だから、なんかもうスタートダッシュでコケちゃったみたいな感じで、笑。本当に専門学校の時代は辛かったです。しかも、その女の子はちょっと性格が悪くて、その後すぐ別の男と付き合い始めました。もうヒエラルキーができちゃって、実際、うちの技工学科でも派閥ができていて、クラス内でもギスギスしていました。

1軍の陽キャ、普通な2軍、その下の陰キャな3軍みたいな感じでした。僕は学校がストレスすぎて、吃音みたいになって、通うのが怖くなってしまいました。僕はヒエラルキー的に3軍(2.5軍くらい?笑)で2軍の男子とは繋がりがあったからか、いじられキャラとして定着しました。


ある時、地元の山奥でキャンプに行った時のこと、2軍のメンバーの中に僕も含めて6人くらいで行ったのですが、その中には例の告った女の子と付き合ってる男子がいました。

夜晩飯をコテージの外で食べてる時、やっぱりその話になりました。正直、みんな僕らのこと知ってて、でも表に出さずクスクス笑ってたんですよね。で、僕が気まずくなってコテージ帰ってしまいました。

その後、みんなになんか言われたんだろうなと思います。そんな感じで、もうずっといじられキャラみたいな感じで定着してしまいました。
(同級生のいじめっ子から「KYはイジられキャラだな〜w」とあからさまに言われるくらいには、みんなにナメられてましたね。)


で、2年時から担任が変わるんですけど、その担任がめっちゃ厳しいジイさん。というか、えこひいき体質で、デキる生徒とそうでない生徒との扱いがあからさまに違う、いわゆる老害。(ぶっちゃけ全員から嫌われてましたね。)

で、僕は傷心してたので、まともに授業を受けていませんでした。そのため、基礎的なことすら全然わからなくて、毎日めっちゃ怒られるようになってしまいました。その頃にはもう、その女の子のことがどうでもよくなっていて、今度は担任がストレスで学校に行くのが辛かったです。今思えば、めちゃめちゃ老害だったんですけど。


で、専門学校も最終学年である2年の後半になるとクラスの友達同士で遊びに行くようになります。でも、僕は遊びに行かなかったら、疎外感を感じるようになって、本当に専門学校デビューに失敗したという感じでした。

そんな時心の支えになったのは、幼馴染の海斗くんという男。そいつは大学に行ったんですが、時々一緒に遊んでいました。それが唯一心のよりどころでした。

けれど、1年の冬ぐらいに彼に彼女ができて、僕はなんか負けた気がしたんです。海斗くんはモテるんですよね。性格も良くて。僕は勝手に彼と肩を並べていると思っていたので、なんというか屈辱感というかなんというか、その時は複雑でしたね。

で、僕らは共に中高同じ陸上部だったのですが、小林という先輩がいて、その先輩たちと時々会うことがありました。ただ、ぶっちゃけいうと僕は小林さんが嫌いだったんです。彼は典型的なガキ大将、人をイジるクセに自分がイジられるとキレる、ずーっと喋るみたいな。そんなところが嫌でした。

ただ、海斗くんはその小林さんからもきにいられてるんですよ。海斗くんは先輩からもかわらいがられたし、後輩からも慕われてました。

だから、断れなくて場のノリで遊びに行くこともありました。そんでもって、僕に彼女がいないこともいじられて、小林さんもいろいろ言ってきたんです。

悔しいことに小林さんもモテるタイプだったんですよね。今では二人とも結婚しているらしいんですけど、当時は僕はずっと「KY、まだ彼女できないの?」って言われていて、すごく悔しかったです。だから、本当に逃げるように地元を出て上京したんです。

そこからこっちのラボで就職したんですけど、会社はおじさんおばさんばかり。当然出会いなんてありません。地元から出てきて、こちらに誰も知り合いがいないもんですからね。

ただ、裏を返せば、僕を知ってる人が誰もいないんで気兼ねなく一人で行動できるわけです。その行動力は今でもすごいなと思うんですけど、当時は街コンとか、オフ会とか、社会人サークルとか、、とにかくいろんなイベントに参加しまくりました。

初めて行ったのは、当時流行ってたmixiの掲示板で募集されてたオフ会。でも実はそれが。みなとみらいで開催される街コンだったんです。

最初の頃の街コンは何店舗か歩き回るような感じだったんですが、僕が行った頃には一つの店を貸し切って、合コンするみたいな感じだったり、立食パーティーみたいなスタイルが主流。その時は男子が順番に席を回って、女性と話すスタイルでしたね。

で、その時にいた湘南から来た2人で来ていた女の子と会話が盛り上がりました。ぶっちゃけどっちもめちゃくちゃ可愛くて、僕も十数年ぶりの女子との会話ということもあり、死ぬほど心の中で舞い上がってしまいました。

それで、帰った後にそのうち1人の女の子に「今日はありがとうございました」とLINEを送ったら、「こちらこほ!今度江ノ島デート行きましょう!」と返ってきて、僕は舞い上がってしまい、鬼のようにLINEを送り続けて結局ブロックされました笑。

女性との付き合い方に慣れてなかったってのもありますが、まぁ、逃がした魚は大きかったっすね。

カフェで働いてると言ってて、いつも0時ぐらいに終わるシフトで入ってたのか、その時間まで起きて、LINEが来たら即レスしたり、追いLINEを送ったりして、それが嫌われたんですね。

それが上京してから初の大失敗だったんですが、その時のモテ経験が忘れられず、そこから僕の長い恋愛の格闘が始まりました。最初はビギナーズラックだったんですが、どうしても悔しくて、自分で街コンとかをめっちゃ探していったんです。正直仕事とかもどうでもよくなっていました。

で、前職の頃はロクに金もないクセに毎週末一回7,000円するような街コンに行きまくるんですが、まぁそういう風に地元から出てきた彼女求めてる非モテ男子に寄ってくる怪しい人が多くて、マルチ商法、アムウェイとかニュースキンとかの会員が勧誘目的で近づいてくることも多々ありました。

この手の出会い、友達作りの活動をするとやーっぱりこういう輩がいるんですよね。まぁ、彼らにとって出会いを求めて飢えてる、特に男って恰好のカモですからね笑

彼らマルチ会員って、オフ会とか街コンみたいなインスタントな出会い場には大抵いますんで、まず気をつけた方がいいです。で、普通に仲良くなって、「今度お世話になった人がいる」というキーワードが出たらもう駄目です。それは確定で勧誘ですから。あいつら、いろんなところで勧誘してきます。で、借金して自社製品買ったりしてるんで、お金がないからカフェですら割り勘にしたりしています笑(営業してるの向こうなのにね)

将来、何したいの?とかいうワードが出たらもう勧誘ですね。で、見分け方はわかります。見た目、言動としては大体みんな目が死んでいるし、笑いの沸点が低い。笑ってるんだけど、空笑いみたいに感情がこもっていない。でもって、早くセールストークに持っていきたいので、いきなり将来の話とか不労所得とか自分がどうやって稼いでるとか、無理な会話誘導をします。鉄板のパターンとして、仕事の話から将来の話に持っていこうとします。

だから、そういう会話の変な流れが出たら、もうマルチ商法ですね。僕レベルになると、彼らが使ってる商品とかでわかります。飲んでるエナジードリンクの缶とか見たことない商品だと「あ、これマルチの商品だな。てことはコイツマルチだな」って感じで。

それはさておき、その後結構街コンやオフ会とか行って、アプリとかでも何人かデートしたんですが、結局、彼女はできませんでした。いいところまでいったんですが、できなかったんです。

ある時は新宿のインカレサークルとか通ってましたね。早稲田の学生団体主催のイベントなんですが、結構参加条件ユルくて、年齢的にはOKだから参加できました。インカレサークルが新宿のラウンジバーとか貸し切って、そこで学生たちとクラブみたいな感じで飲むみたいな
感じでした。

他にも、mixiで募集しているようなパーティーとか、毎週末そういうところに行っていたんです。

その後僕は休職ののちに転職しますが、ぶっちゃけ休職中に普通にアプリやってました笑。職業欄は歯科関係って書いてたので、まぁ、嘘ではないですよね笑。まぁ元々辞めるつもりなのと、転職のために業界研究とかするつもりだったのですが、普通に休職してたことは隠して活動してました。そしたらびっくり、そこで僕は初めての彼女ができました。

相手は大学生の女の子で、日野に住んでいると言っていました。それが、僕の家からだとすごく遠いんですよ。でもって向こうは土日にバイトで、僕は土日が休みだったので、休職中は問題なかったんですけど、これが後々のすれ違いの原因になりました。

転職前から付き合って、その後ありがたいことにすぐに転職しました。でも、何も起こらなかった。手を繋ぐくらいはできたし、ディズニーにと一緒に行きましたけど、デートに誘っても講義が、バイトが、で返されて「俺のこと好きじゃないのかな?」って思っていたんです。

それで疎遠になってしまって、最後はコナンの映画を見たその日が別れの日になりました。映画が終わった後に「ごめんなさい、講義あるんですよね」って言われて。日曜だったんですけどね。でもって、もう辛くなっちゃって、彼女を見送った後にブロックしました。今思うと最低ですね。

で、同時期に通ってたバドミントンサークルで、前から好きだった真奈ちゃんって女の子がいて、クズなことにすぐにその子に乗り換えようと画策してました。(愚策)

実はある時、たまたま飲み会でウマがあって、それから何回か2人でデート的なことをして、イケるって思って告ったら普通にフラれましたねw

彼女と別れたばかりで乗り換えようと狙ってるのがバレたんでしょうね。(てか普通そんなあからさまなことしないだろ、、と我ながら思う。)

バドミントンサークルには気まずくなって行かなくなったんです。

その後に、僕は別の社会人サークルに入って、(そのサークルの主催者の男性とは今でもちょくちょく飲みに行っているんですけど)そこ出会いとか探してました。

でも、このサークルは普通に楽しかったし、上京してから初めてできた友達のグループでした。

でも楽しかったサークルもコロナ禍で離散してしまって、やっとできた友達も全部なくなってしまいました。コロナ中は何もすることがないなって思っていた時に発見したのが、僕が弟子入りしたナ•パ師のブログだったんです。

メルマガ形式の商材を売っているブログで、その人もかつて童貞で同じような苦しみを経験して、そのコンプレックスを乗り越えて成功したみたいなことが書いてました。もうその時は「これだ、、俺が頑張るべきはこれだったんだ」って衝撃を受けた。でもって、すぐにメルマガを購読。弟子入りしました。

で、ビックリすることに、その人の教え通りにやると、普通にマッチングするんですよね。見た目を中性的にし、プロフィールやメッセージを工夫するんですが、「今までやってきた失敗はなんだったんだ?」ってくらい、面白いぐらいマッチングして毎週末デートにも行きました。

その時は結構いいね数を稼いでいて、一般会員だと男性なら20〜30くらいなのですが、ピーク時は300いいねくらい稼いでました。その頃は、もう誰が誰だかわかんない状態。


そんな感じで、1年間ずーっと毎週末女の子と会っていました。ただ、振られまくって、100人ぐらいに振られました。メッセージ、アポまでは続くんですけど、実際会った時に会話を盛り上げられない。でもって、つまんない認定されてブロックまでセットでした。

でも、悔しくてやめられなかったんですよ。本当にもう、悔しかった。やっぱりどうしても、この恋愛のコンプレックスを克服したいという気持ちだけで頑張っていました。

でも、頑張れば頑張るほどガツガツしてしまって、言動も余裕がなくなってしまいました。その時は僕もマルチ商法みたいに自分の望む方向へ無理やり会話をねじ曲げることをしていたんです。要は、相手の話を全然聞いてなかったんですね。

そういう余裕のない人って嫌がられるじゃないですか。その商材では、冗談を言える関係を作るというのが大事だって言われてたんですが、そのためには、自虐ネタとか自分を落として笑いを取る→相手にイジらせて自分がイジる、みたいなスキームでやってました。でも、そこにばっかり意識がいってしまって、焦って相手の話を聞いてなかったんですね。

だから、何か空気読めないみたいになっちゃって、メッセージはうまくいくんだけど、次のデートに繋げるまでが難しくなっていました。


「大丈夫、いつか必ず結果が出る」そう信じて言われたことを言われた通りにしかやってなかった。そして結果が出なさすぎて、それがストレスになり心療内科に行きましたね。その頃には女の子を見ると吐き気を催すようになってしまい、それでアプリも商材のコンサルも退会しました。

でもって、家に篭りきりの生活が続きます。リフレッシュのために外に出たり運動したりするんですが、その度に女性を見るのが苦痛。だからなかなか出歩けない、、そんな日々が3ヶ月くらい続いた時のこと。


でも、そのときに気づいてんです。
「あれ、俺って相手の話を聞いてなかったな」ってことに。

それに気づいた僕は、アプリを再開しました。そしてなんと、あれだけブロックされてたのに、2回目のデートに行けるようになったんです。心に余裕が出て、デートでも相手の話をしっかり聞いて、話を引き出し、相手とだんだんと冗談を言い合える関係になれたのです。


そして、その後に童貞を卒業でき、その後3人連続でワンナイトしました。それが僕のブレークスルーになりました。

その3人のうち、最後の1人が今の奥さんです。最低なんですけど、行為後に告白しました。でも、本当に良かったと思ってます。後悔はないですね。

その経験でわかったのは、一つのことを頑張るって本当に大変だなってこと。そして、そういった経験が人間を本質的に成長させるということ。

僕が人生で一番頑張ったことは?と聞かれた時、その答えは今もこれからも「恋愛」ということになります。間違いなく、あの時期は人生で一番頑張った時期でした。恋愛のために、モテるために、本当に朝から晩までアプリを使って、いいねしたり、足跡つけたり、プロフィールを改善したり、情報商材やビジネス本を読んで、毎週末デートに行って、ドタキャンも普通にされて、日によっては1日2件アポを入れてました。でもそういった膨大な失敗と挫折、それを乗り越えた経験のおかげで、困難なことの乗り越え方がわかったし、何より人として大事なコミュニケーション能力を手に入れることができました。

結局100人ぐらい振られましたけど、今となっては本当にいい思い出。ただ、頑張りすぎるとやっぱり視野って狭まるんですよね。どんどん前のめりになって、余裕がなくなります。だから頑張るにも余裕は大事です。たまには離れて俯瞰することも必要でした。

結果が出なくて病んで1回離れたときに、これが原因だったんだと気づきました。要は、冗談を言い合える関係を作るために無理やり自分のしたい方向に持っていって、相手の話を聞いてなかったんですね。

そこに気づいて頑張って結果が出ました。その後もすぐには自信が持てなかったし、この子へのコンプレックスは抱き続けてました。結局のところ、ナ•パ師として活動して、経験人数は3人でした。だいたい3%の勝率ですね。でもその3人の中で今の奥さんが一番魅力的だったから、やっぱりあの恋愛活動は続けてよかったと思いました。

昔のコンプレックスが強かったから、別れようとかまた活動しようとかも考えましたが、今の奥さんが魅力的だったから、別れないことを選びました。

でも、やっぱり昔の中学高校、そして専門などで馬鹿にされた経験や辛い思いをしたことで悩んでいましたが、ある時にそれをずっと気にしてもしょうがないよな。って思ったんです。

もし昔に戻れるなら、勉強もして歯科技工士以外の道を選んで、視野を広げるために本もたくさん読んだし、陸上部を辞めて、学外で活動した。ならば、昔やれなかったそれらを、今やろうと思ったんです。それが僕の中で、人生で、大きなターニングポイントになりました。

それから僕は、学生時代に少しやっていたボルダリングを熱心にやって、週4ぐらいで近所のジムに通い始めました。社会人サークルにも二箇所入り、自分自身も強くなってボルダリング仲間もできて、それが楽しくなったんです。

同時期にもっと視野を広げるために、いろんなところに行ったり、特に本を読んだりして、そこから考え方がどんどん変わっていきました。そうすると、経験人数とか過去のこととかが段々とどうでもよくなっていったんです。

経験人数は3人しかいないけど、それが何なの?って思うようになりました。抱いた数が多いからってその人の価値が上がるわけじゃないじゃん、みたいな。

要は人の目ばかり気にしていたんですよね。経験人数とかスコアで。でもそうじゃなくて、今の奥さんを一途に愛することだって、正解だと思ったし、僕にとってはそれが一番大事だと思いました。それに気づいてから恋愛とかに執着しなくなりました。そこで自信もついたし、筋肉もついて、知識も増えて、本当にやりたいことが見つかったんです。

個人的には、恋愛の悩みは早めに解決した方がいいと思います。僕も、もっと早めに解決していたら、もっと早く普通に恋愛できていたと思います。でも、めちゃくちゃ頑張ったけれど、それでも8年ぐらいかかりました。10,000時間の法則とはよく言ったもので、人が変わるには膨大な時間がかかるんですよね。(僕の場合はだいぶ遠回りしましたが、、笑)

簡単じゃないけど、僕は、オフ会や街コン、ひいてはナ•パを、やってよかったなと思います。本当に死に物狂いで頑張ったから、今の考え方ができています。そしてこれを発信するようになって、改めて今の奥さんとずっと一緒にいたい、今の仕事も生活もずっと続けたいって気づきました。

それが僕の恋愛遍歴です。すごく頑張った経験なんです。もう今は、昔のことは恨んでいません。むしろ感謝しています。陸上部のイジってきた小林さんや、専門で僕を振ったあの子にも、同級生にも。そして元カノや、バドミントンのあの子にも、本当にありがとうって思います。この死ぬほどの辛さがきっかけになったから、ここまで変われたんです。本当にありがたいなって思います。

当時は辛かったし恨みがいっぱいありましたが、今は人の幸せを心から祝えるようになりました。昔いじめてきた奴らとか、陸上部の変なやつとかも、むしろ無理に強がって可愛いなって思えるぐらい。


そこまで行くともう勝ちですよね。今日の話は、こんな感じで終わろうと思います。

ありがとうございました。

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