十二国記新刊(白銀)一読のこと

十二国記の新刊、白銀読んだよ。今読み終わった。これを読んでいるあなたも読了した方だよね?わたしときたら他の方の感想を漁るまもなく放心状態でこの文章を書いている。来月のわたしがどう思ってこれを見返すのか楽しみにしたいという気持ちでもある。ハローハロー未来のわたし、今の気分はどう?


◎◎ここからネタバレ◎◎


十二国記をこれまで擦り切れるまで読んでいる。発売までに復習を兼ねて頭から終わりまで読み返した。だから?とでもいおうか、わたしはたしかに最初から何となくうっすらではあるが油断しきってた。風の海、魔性、黄昏の岸ときて、この白銀まで(時系列並び)長くかかった。次こそは泰麒は幸せになれる。戴は救われると思いながらわたしたちは固唾をのんで小野主上の動向を見守ってきた。いつだったか小野先生は本編はあと一本とか語っていたような(記憶があるだけなので詳細は割愛)そうつまり、次は【幸せ逆転完結モード】だと思って読んでいた。
例えるならば月の影で見てきた【今読んでいるものは主人公サイドである】という絶対的な安心感があったわけで、そしてまた月の影は陽子が成長する過程であり、その道行きが苛烈であればあるほど陽子が王であったということが(作中なんとなくはわかっていたのもあるけど)大逆転カタルシスとしてこっちに一気に吹き出す読後感があった。
一部の底意地悪い物書きが作るものでない限り、主人公は死なない、それどころか逆転するに違いない。魔性で書かれた泰麒の永い永い闇(その中だからこそラスト尚隆のシーンでグッとくるよね)、黄昏の岸での半死半生で駆けずり回った李斎の旅路や各国の麒麟や王たちが手を結ぶ様に事態の好転を期待し、だからこそつらつらと新刊で書かれた戴の現状の悲惨さややるせなさの何倍もの行幸が、泰麒と驍宗様の再会という形で得られると思ってた。だから苦しみながら読み進めた。途中不穏な感じが漂ってもなぜか大丈夫だと信じた。

偉い人が寝ついてる?
6年前の傷?
まさかね?
え?
身罷った?
はいはいミスリードだよねはいは…………
…………
………
……

え?

白銀2巻ラスト、驍宗様が身罷ったらしいと伝えられるターンで我々は頭をぶん殴られるのである。
泰麒の幸せを驍宗様の再会と位置づけていた我々は、いつから驍宗様が主人公、それも決して死なないつまり物語から退場しないひとだと考えていた?そもそも麒麟とは民のために非情になれる生き物だと作中散々阿選陣営あたりが語っていたではないか。それをなんとなく、泰麒は驍宗様の麒麟だからそれは策略だよ!騙されてるね!と高を括ってた我々、作中で驍宗様らしき人物が身罷ったあたりから視点はずっと泰麒から離れたままだったことにやっと気づくんだよ。
泰麒の幸せは、もしかしたら我ら人間が思うものと違うかもしれないとわたしたちは怖くなる。
驍宗様が亡くなったことを泰麒が知ったのであればなおのこと阿選を新王などと口にするか?とも思ったんだけど、怖い怖いと思ってた驍宗様をそも王に選んでる泰麒には好悪感情など関係もないのかもしれない。語られてきたことは本当だったのでは?

泰麒は阿選に復讐するために新王践祚させ、恥をかかせて矜持を傷つける、或いは偽王を践祚させて瞬間麒麟もろとも雷に打たれて死ぬならそれはそれでいいとまで考えているのでは?と思った。でも泰麒に復讐は似合わない。そも魔性で使令たちの無為の復讐に膿んだ麒麟が考えることとも思えない。真に戴のことを考えるならば、実際にどこにいるともしれない驍宗様を切り捨てて新王にかけることは民のためには間違いない。

とかなんとか考えてると、謎の鳩の声とか、泰麒がハッとした床のなにかとか、錯綜する人間関係とか予想するよりも泰麒の感情に思いを馳せてしまうオタクの悲しい性である。戴国に平定を。願わくば、願わくば泰麒のこれまでの何倍もの幸せとそしてその隣にいる驍宗様の息災を願わずにはいられない。
めちゃめちゃ胃が痛い中で来月まで待つの本当に拷問です。今日寝たら来月になってないかな?

あとこれは声を大にして言いたいんだけど冊子がそろそろ擦り切れるから漂拍を次の短編集には絶対絶対入れてください!!(雁国国民の叫び)

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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