個人的な体験
ちょっと前の宮台真司のインタビュー記事を読みながら、2019年10月の個人的な体験と、2020年11月の個人的な体験について思い返していた。
自分が、生きている中で初めて自覚的に「体験質」に触れたような感覚を得たのは、2019年の10月、岐阜の養老天命反転地に行ったときのことだった。
もうすぐ28歳になろうとしていたあの頃の自分は、最も明確に、あらゆる意味での「死」が隣にいた。「どうせ死ぬなら」というつもりで、仕事を棄て、頭に浮かんだものを浮かんだまま実行する中で、最後に辿り着いたのが養老天命反転地だった。
あの空間で、思いつくままの行動を意識的に一つ一つ実行していくたびに、「自分にとっての喜びとは何なのか?」ということが、自分の中のことなのになぜか、自分の外から手や足を通してスッと入ってくるような、そんな気がしたのだった。
グネグネの足元を乗り越えて一番高いところから遠くを見渡した時には、自分の中とか、外とか、何かよく分からないけど存在していた壁のようなものが、あっという間に崩れ去ってしまったような気持ちにもなった。私と呼ばれるものの正体は、私の中にもあるし、私の外にもあったのだ、と思った。私はIであり、Youであり、AでありBでもあり、全てであった。死の淵にあって、体の感覚を通して私を知る体験をしたことは、まるでシャーマンの執り行う通過儀礼を終えたような気分だった。その時自分は確かに生まれ変わったような気になった。
それから、困った時の選択肢に「頭をからっぽにして、体を動かしてみる」が加わった。「からだに訊け」という養老孟司の言葉を知ったのはその体験から数年経ってからのことで、養老孟司と荒川修作が過去に対談をしていてその様子がクラウドファンディングと併せて公開されていた(もう見れなくなった)を知ったのは今しがたのことである。
2020年の経験については、恥ずかしいので具体的なことは書かないが、あの頃ほど「言葉がどれほどちっぽけな存在か」と思わされたことはなかった。喋ろうが、書こうが、伝わらないものは伝わらない。逆にそれ以外の、伝達するつもりもないような器官が、何かよく分からないがとっても大切なものを伝えたりもするのだ、ということをあの頃肌身で以って体感していた。
たぶんそのことは理屈では理解していたのだろうな、というのは、高校生の頃に作っていた曲の歌詞を読み返してみるとなんとなく分かる。それを肌身で以って追体験したのが29歳になってからだったのが良かったのか悪かったのかは分からないが、とりあえず「愛してる」という曲は新しく出来上がって、それ以降新しい曲は一切書けない。
そんな、いくつかの個人的な体験を通していま自分が感じていることと同じようなことを、宮台真司や養老孟司がインタビューで話したりしていると、全く同じことかどうかは分からないし本質的にはそんなことはどうでもいいのだけど、まあそういうことでいいんだろうなという気持ちになったりする。たぶん荒川修作も同じことを考えていたのかもしれないし、白井先生も同じように考えているのかもしれない。
同時に、自分がいまそう思えるようになるための出会いをもたらしてくれた人達へのありがとうの気持ちが芽生えたりもする。
諸々を読んでいく中で見つけたいくつかの気になる記事を添えて。
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