時間が足りない
3年前に転職をしてから、命の使い方を変えた。
出し惜しみをしなくなった。とりあえず考えていることは言ってみる。頭の中に浮かんだことを、「大したことじゃない」とか、「今ここで自分が言う必要はない」みたいに、自分の脳内で勝手にタグ付けしてアーカイブしてしまうようなことをしない。タグ付けは外部のモジュールにお願いして、自分のタスクはアウトプットであると定義づけた。
これを実行するようになってから、明らかに自分に入ってくるインプットの質が変わってきた。よくありがちな「同じことを何度も言われる」ことは無くなった。文字に起こせば同じことでも、文脈によって明らかに意味が異なっていると認識できるようになった。
なんとなくだが、曲を書けなくなった理由の一つはここにあるような気がする。10代の頃に、人前で出し惜しみ続けたエネルギーがマイナスに振り切った時に生まれたのが、あの曲たちだったような気がしてならない。
もうちょっと若いうちに、こういう「出し惜しみしない」生活が出来ていたらもう少し違う人生を歩めていたのだろうか?と妄想することもあるが、長年の蓄積があるからこそ31歳の今できるアウトプットもあるということで、あまり深く考えないようにしている。
=====
最近、一人で本を読んだり音楽を聴いたりするような、自分の内側にこもるような時間をなかなか取っていない。とはいえ実際のところ、この辺りはもう自分の中でバイオリズム的な何かがあるのだと思っていて、読みたくなれば読むし、聴きたくなれば聴く、ということで良いし、無理にそれをやろうとしたってどうせものにはならない。気の向いたままにやればいい。
ただ、spotifyに溢れる膨大な曲を見ていると、この曲も、あの曲も、じっくり聴きたいのに時間がない、とふと思った。もうちょっと一十三十一に浸っているだけの時間があったらいいのになと思うし、ハルカトミユキに勇気づけられる時間があったらいいのになとも思う。もう少し立ち止まる時間が欲しいなというのは、それはそれで事実。あと欲を言えば立ち止まり方を選びたいし、10通りの立ち止まり方があるなら10通りの立ち止まり方をすべて実践してみたい。
でも、立ち止まる方法が世の中にはたくさん溢れかえっていて、贅沢の極みみたいになってしまっている。多分自分は、この全ての立ち止まり方を嗜むことはできないまま死ぬ。そう思うと、なんだかとっても勿体無い人生を過ごしているような気分になってしまった。
本当を言えば、日々の暮らしの中で目に留まったものも、そこで感じたこともちゃんと記録しておきたい。そうやって、自分の思考の辿り方をもっと可視化したい。
時間が足りない。
もしよければ、コメントとか、サポートをいただけると、とても嬉しいです。そこから関係が始まって、つながっていけるといいな〜というのが、僕の願いです。