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少数派が”騒ぎ立てる大多数”になる怖さ

株式会社カイユウと聞いても ピン!とくるひとは少ないと思います。

ちょっと古いですが”ハイパーメディアクリエイター”くらいに、けっきょく何をしているのかパッとではわかりません。が、さておき。
運営しているメディアの1つ「KAI-YOU.net」はポップカルチャーを知るに、ギュギュっと情報がつまっているので好きなひとは楽しめるかも。

そんな中で目に留まったのが中村佑介さんのインタビューでした。
ASIAN KUNG-FU GENERATIONだったり森見登美彦だったり浅田飴だったりするイラストレーターの方ですね。
ただのインタビューではなかったというのも気になった理由の1つ。

読んでみれば、気持ちがいいくらいの。
ご自身の描かれる絵と同じように、あっけらかんとしていて力強くもある。
たぶん、こういうのが”意志”と呼べるものかもしれません。
これを言ってしまえるのは強さだ、と思いましたね。

ただ、これは第一線のイラストレーターの意見として読んだ感想。

もう1つ別の、違うものとして読んだときのそら恐ろしさがすごい。
引用の表現を借りれば「陰キャが声をあげられる環境とはどういうことか」について、かな。
声なき多数派サイレント・マジョリティーに対してやかましい少数意見ラウド・マイノリティがあるように、陽キャに対して陰キャがSNSとの親和性で”騒ぎ立てる大多数”になる怖さ。

しかし、著作権の問題がありながらも、最もリスクがあるのは、そういう5chやTwitterの人たちに見つけられることです。「自分は真面目に一生懸命頑張って、それでもこんなに認められてないのに、あいつはズルして認められてる」という嫉妬や怨嗟もあることでしょう。「トレパク」が炎上にまで発展するのは、このエネルギーも補助していると考えています。

とくに引用からの、この部分が”迫真の表現”に思えて。

自分は真面目に一生懸命頑張って、それでもこんなに認められてないのに、あいつはズルして認められてる

”清廉潔白なひと”なんていないと私は思っています。
どこかで大なり小なりズルした記憶はあって、だから自分も出来ることだと思えて、でも”しないでいる自分”がいるときに嫉妬や怨嗟を抱く。

でも、たぶん”しないでいる自分”の正体ってのは”同じことをしても出来ないだろう自分”がチラついている気がしてならなくて。

この動機って「YouTuberって儲かるらしいし、やってみようかな」と変わらないわけで、すべからく儲かるわけじゃないからやらないのと同じ。
でも、それたぶん”やらない”じゃなくて”できない”ですよ、と。
トレパクすれば、誰でも売れっ子イラストレーターになれるわけじゃない。
そこの1つの才能が入る余地もなく売れるなら、もう終わりきってる。

その発想は、さすがに世の中をナメすぎていると思うんですね。

責められるところがないかというなら、それも違う。
ただ、袋叩きにしてボロボロにして引きずり下ろすことが目的なら、それはズルを責める以上の何か含みがあるというほうが腹落ちします。

そのくらいTwitterを”きけんなもの”と感じられる視点もすごいな、と。
やはり一廉のひとってやつは、違うもんですね。