何となく思ってること

みなさん今日もお疲れ様です。かわたに園です。
2回目の投稿(同日ですが)何にしようかなと考えてたのですが時々考えることをそのまま文章にしようかなと思います。

しにたいな、消えたいなって思う時ありますか?(ド直球)

わたしはあります。簡単に死を話題にするなと思うかもしれませんがそれくらいに追い詰められてる人、少なくなくないと思います

私はもともと世渡りは下手なので精神的に滅入ってるとよくしんどいがカンストしてます
でも何だかんだ言ってそういう思いは消えていきますし実際死にはしません。

死にはしないというよりは死ねない、という方が正しいでしょうか。

どんなに死にたいと思ってどんだけ構想を練っても勇気だけが足らず結局生きてるんですよ。人間の生存本能舐めてはいけません笑
何が言いたいかってどうせ生きてるんだから死にたいなんてほんとは考えてはいけないってことです。
どうせ人間寿命なり病気なり不慮の事故なりでいつかは亡くなるんだし。
それが出来ないから辛いんですけどね〜。矛盾だらけですほんと。
だからと言って死ぬ勇気がある人が凄いとは思わないですけども。自分(以後Aさんと仮定します)はこの世から居なくなるから後のことはほったらかせるけど遺族の方々や友人はそうとはいかない。悲しみや苦しみを誰かひとりは少しかもしれないが背負うことになるしそれが心の負担になりかねない。病気や寿命での死とは訳が違うのです。
なので私は責任の重さも感じて死なないし死ねません〜!
はじめにも書きましたが死を簡単に話題に出すな、不謹慎だって思う方もいることはわかってます。でもこういうことを考えずにはいられません私は。


なかなか普通に生きてて死に関して考えることなんて少ないと思います。
人生経験の少ないガキがそういう話題に対して思うのは死 について考えることは美しいな、と
実際死はとても生々しいものだし残酷なものだけど死について「考える」というのは自分の中で美化された死について考えていてそういうのは凄く想像力が働くし沢山のストーリーが生まれてくると思ってて。
死を美化してるので本当の意味の死では無いし自信の脳で考えている死と本当の死では全く別物である可能性が非常に高いって事です。

2つの話題を踏まえて言えるのは死ぬことは想像を絶する程難しいしハードル激高ってことです。
息さえしていれば生きてるんだからこの違いは明白ですよね。あくまで自死か生かの話であって色んなことを度外視した故の結論とはなりますが。

何を伝えたいかイマイチ伝わりきってない気がするけど大丈夫でしょうか…。
実際言葉にするのは簡単だし誰でもできます。難しいのは行動に移すことですよね。
気持ちが追いついてないだけで本当は生きてさえいればなんでも出来るんです。
ほんとに何でもいいです。好きなことや最低限出来ることなどからコミュニティを広げるのもよし(ハードル激高)、毎日 数分だけでも外に出て買い物に行ったり散歩に行ったりするのもよし、推しを作るのもよし、昔やってた遊びやゲームを思い出してやってみるのもよし、何でもいい、とにかく極小さなことでも生きる価値を見つけたら多少は生きやすくなるのではと思ってます。私はまだあまり行動には移せてませんが何年後かに出来てたら良しとします笑


まぁ適当にほどほどに生きてるこの瞬間を好きになれるもの見つけていきましょね。


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