黒ヤギさんから白ヤギさんから

現都知事の良くないところについてネット上ではあれやこれやと話題になっているけれど、そういう話題って本当に届いてほしいところにはほとんど届かないようだ。現都知事に批判的な人たちの間ではバターになるくらいグルグル巡るのに、そこからは電子一個も飛び出していかない。そういう予感というか気配が最近ますます強くなっている。カエサルが言うところの「ひとは見たい現実しか見ない」を、あらゆるSNSがレールガンのように加速した結果なんだろう。

岸野雄一さんの一連のツイートを読んだ。これはあくまで世間の一例に過ぎないけれど、このツイートに登場するような人たちが世の中の多数派なんだと思えば、いろいろとしっくりくるところがなくもない。

逆に彼らからこちらを見た場合に、僕は少数派の中にいるように見えるのだろうか。そうでなくてはおかしいと思うけれど、そうはならないような気もする。何らかのインターフェースが一方通行になっているような、そんな感触があるのだ。あるいはマジックミラーのような感じか。それはこちらがわかっていて向こうがわかってないというような上から目線の話ではなく、どことなく黒ヤギさんと白ヤギさんのお手紙にも似た、ひどく素朴な童話に見える。

世の中は自分の思うようになんかならない。ほとんどみんなそう思っているんじゃないか。僕もそうだし、役所の食堂や社員食堂の彼らもきっと。じゃあ一体、誰の思うようになっているのかなどと考え始めると、陰謀論的なロマンティックが溢れて止まらなくなってしまうのだろう。誰の思うようにもなってないなんて悲しすぎて堪えられないから、そっちに流れていくのも仕方がないことなのかも知れない。

思うようにならないからこそ面白い!みたいな古臭いポジティブ思考はあんまり好きになれないが故に、どうしても不満の貯まる毎日だ。だからと言って他人を自分の思うようにしたいなんて思うのはやはりちょっとどうかしているわけで、思うようにならないというのは大前提とした上で、うまいことやっていけたら良いんだけどな。