note始めました

先日、友人と話していた時、数年後何をしているかという話になった。
今、動かないといけない時期なのに「面倒くさい」という感情で動かないのは「逃げ」の感情があるからだよね、となった。

そして、では「逃げないで面倒くさいの向こう側へ行く行動の一つとして何があるか」と話し合って、出た結論が、「とりあえずnoteをやってみる」ということになった。

結局のところ、大切なのは小さな一歩でもいいから何かしら動くことであり、いきなり大きなことをしようとするから負の感情が跳ね返ってくるのだと、それが「面倒くさい」という感情であり、全く行動しないという結果になり、それをここ数年味わっている状態だ。

なんでもいいから今いるこの場所より、少しでも広くて自由度の効く場所に立ちたいと願っていた割に、形もはっきりとしない、感情ですら漠然としたところで立ち尽くしていた状態を、「満足している」という都合の良い解釈や尺度で何とかごまかし言い聞かせてきたのだが、もうこれ以上このままではまずいというところまで来ていたのだ。

私の場合、ここ数年の間、ずっと「書く」というキーワードが頭の中をぐるぐるしていたが、書くことの大変さを一時、仕事で味わったことをきっかけに、もうSNSなんか金輪際関わらないと思って過ごしていた。
でも、気が付くと何かSNSをやりたいと、ふっとした瞬間に思うことが度々あり、本屋でつい手に取る本は「書く」ことについて指南書的なものばかり・・・。

「面倒くさい」というシーソーの片方と「書きたい」というもう片方の行ったり来たりをギットン、バッタンとやっていた数年だった。
その音が時にはうるさ過ぎで、益々「書く」ということに対してうんざりしていたのだ。

別にSNSをやること自体、そんなハードルは高くないし
散々今までブログやインスタ、YouTubeもやってきたのに、それでも
またそれを再開させることは、いつの間にか高いハードルになっていたことに気づき、重い腰と頭を有しながらの今、PCに向かってキーボードを打っている状態に、いつまでこれが続くかと、エゴの声を頭に響かせやっている。

だからいつまで続くか、自分でも分からない。
何を書いたらいいのか、誰も読まないのは分かっているからこそ
好き勝手に「王様の耳はロバの耳」よろしく、穴(note)に向かってキーボードを打ってみようと思う。

文法もどうだっていい、相手が理解できるかとか、そんなこともどうだっていい。
ただ書き続ける、そこだけにフォーカスして
とことん自分に甘く、書き続けてみよう。とりあえず。

要は日記帳でやっていることをnoteでやる、ただ単にそういうことだ。
そうやって自分を納得させて始めた「note始めました」なのだ。

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