禅マルコム

ずっとしっくり来てなかった。

4年間の集大成の大会で樋口と漫才してるとは考えもしなかった。嫌だったとかじゃない、むしろめちゃくちゃ楽しくて最高の時間だったけど予想がつかなかった。僕が初めて自分の「面白い」をネタとして表現したコンビである禅マルコムで最後も勝負すると信じて疑っていなかったからだ。

禅マルコム、良いコンビ名じゃないですか?由来は僕と僕の同じ学科の友達の岳とあいつの3人で大学の図書館に行き、1人1冊好きな本を持ち寄り、3冊のタイトルの中から好きな単語を取って組み合わせて決めた。あいつは「スターウォーズ〜禅〜」みたいな本、岳は「マルコムXのなんちゃら」みたいな本、僕は「社会風俗のなんちゃら」みたいな本をそれぞれ持ってきた。ここから分かるように僕の本からは何も採用されなかった。選択を誤った。

禅マルコムを組んで最初のライブは落研の学内ライブ。全然上手くできないどころか僕がネタを飛ばしてしまってオチまでいけずに終わった。漫才ってこんなに難しいものなんだと骨の髄から思った。ライブが終わって土砂降りの雨の中傘もささずに2人で学校から下高井戸までほとんど何も喋らずに帰った。本当に悔しかった。あいつにも申し訳なかった。僕はこれが禅マルコムのスタートだと思っている。

次の月の学内ライブは必死に頑張った。前月の何も出来なかったライブからすぐにネタを作り、授業終わりにあいつと時間が合う日は毎日ネタ合わせをした。結果、ネタをやり切れたし少しのウケも返ってきてくれた。毎年やっているという駒澤のナイフとフォークとの対決ライブにも出させてもらえた。マンゴースーツケースは元気にしてるのか?何はともあれ、初めて漫才をすることが楽しいと思えた。

それから1ヶ月ほど経ち、初めての夏芸会。当時1年生の僕たちは大学お笑いについて何も分かっていなかった。ネタも1つ上の先輩である西山さんに2つ台本を見てもらって決めてもらうというテキトーさ。ちなみに「銭湯」のネタと「服」というネタの2択で「銭湯」を選んでもらい、「服」は1度もやっていない。「銭湯」は僕は代表作の1つだとおもっているので、西山さんには感謝している。夏休み期間は狂ったように毎日学校に通いネタ合わせを続け本番に臨んだ。初めて方南会館に立った。とても緊張した。結果は21.4%。今になって考えてみれば1年生にしては取れてる方だと思うし、褒めてくれる先輩もいたけど80%の人は僕たちのことを面白いと思わなかったということだから当時は悔しかった。同じ日に先輩であるコペルティーノさんが勝ち上がっているのを見て、僕もあんな風になりたいと思った。

そこから僕たちは僕たちなりに必死に漫才にくらいついた。しゃべくり、漫才コント、1人コント、システムっぽいもの、キャラ漫才、道具を使った漫才…。ほとんどのパターンの漫才に手を出したと思う。ネタも最初は僕1人で作っていたが2人で意見を出し合って作るようになった。上手くいったり、上手くいかなかったり。いや、圧倒的に上手くいかないことの方が多かったけど本当に楽しかった。

僕たちが1年生の終わりぐらいからずっと出させてもらっていたライブがある。同期ライブだ。出演総回数はたぶん同期で禅マルコムが1番多いはず。甘い蜜を吸わせてもらったと思えば叩きのめされる、そんな印象だ。あいつのキザなツッコミキャラも2年の夏芸会直前のこのライブから生まれた。「魔女がプロフェッショナルに出演する」というネタ。最下位を記録したのでネタ自体は使い物にならなかったが、番組のナレーションを演じた時のあいつの声で漫才をしたら面白いのではないかというところからあのキャラが生まれた。直後の水玉アンブレラとようこそトルティーヤのツーマンライブにゲストで出させてもらった時にこれを試したら反応が良かったのでこれで芸会を戦うという案が浮上した。芸会直前にリ・トゥミさんと無味無臭さんたちとネタ見せをした時にキャラを入れた方がいいか相談したら先輩方はキャラを入れてやってみたらという意見をくれた。あいつもその気だった。だけど僕はなんとなく今まで2人で頑張ってきた「禅マルコム」が崩れてしまいそうでそれには反対した。思えばコンビ間でここまで大きく意見が別れたのはこれが初めてだと思う。結局この形で芸会に臨んだ結果、勝ち上がることは叶わなかったけど、とんでもないウケを体感した。正直気持ちよかった。もちろんこのキャラの力だけじゃなく2人で考えたボケだったりネタの導入だったり色々な要素もあったと思うけどこのキャラで勝負することが正解だったと思う。僕のなんとなくの判断では無く、あいつは勝つ選択をしていた。

でも、2年の夏芸会が終わってからは正直キツかった。一応僕が1人コントをしてあいつがキャラツッコミをするというスタイルが固まり、ありがたいことにライブに呼んでもらえる機会も増えたが大会では結果が出なかった。対決ライブでは勝てない、アルティメットもダメ、NOROSHIもダメ、新ネタもなかなか出来ない。ネタ合わせの時も良くない雰囲気になることも何度かあった。みんな同じだと思うけど、1番キツかったのはコロナで2020年の夏芸会と2021年のNOROSHIが無かったことだ。ちなみにNOROSHIはチーム水星でキツネノカミソリさんと石丸怪奇さんと出る予定だった。あいつも言っていたけど、禅マルコムはこの3年の時期がピークだったんじゃないか。

4年生になり最後の夏芸会直前のライブで新ネタがスベりまくり、結局最後の夏芸会も3年のNOROSHIでやるはずだったネタで勝負した。出番が終わり、同じ日に三菱商事で出場していた樋口とあいつと3人で仙川のミライザカでTwitterで結果発表されるのを待った。結果が出た。

32.2%

僕たちの3年間の結果がこれなのかと思ってしまった。何度もやったネタでバレていたり、1年間大学お笑いが止まってしまったことによりウケやすいネタが変わったり様々な要因は考えられるが、なによりあの時の僕たちは覇気が無かった。最後の最後まで絶対的な自信を持てなかった。

結果が発表された後、あいつが言った。「自分は演者向きではないからNOROSHIは作家として参加したい」と。あいつなりにはずっと考えていた事だという。僕は全然気付かなかった。離婚する時の夫婦かよ〜。僕はこの言葉をあいつが負けて悔しくなった勢いで言っているだけだと思いたかった。僕としては簡単に禅マルコムを捨て切る事はできないからだ。

芸会から3ヶ月ほど経った11月に下高井戸の豊後で同期4人でNOROSHIのチームを決める会をあいつが設けてくれた。会が始まってすぐにあいつは「優勝してぇ」と言った。その言葉に誰もツッコんだりボケたりする奴はいなかった。それくらいあいつの目はガチだった。コントのナイスバディは当然すぐに決まった。なにより問題は漫才。僕は正直あいつが会を設けてくれた時点であいつがもう一度漫才をやる覚悟ができたのだと思いその意思確認の会なのかとも思っていたし、正直僕は今までの大学生活のほとんどを費やしてきた禅マルコムで最後も勝負したかった。だけど夏芸会後のあいつの言葉は冗談じゃ無かった。あいつは「禅マルコムで出たら何も変わらない」と言う。それはあいつがNOROSHIに出場しないということになる。僕は「お前は出なくていいのか?」ってとっさに聞いた。「出なくても良い、優勝したい」と悩むことなくすぐ返事が返ってきた。僕はその言葉に対して禅マルコムで出たいとはとても言えなかった。それから4人で話し合い、エシャロットでNOROSHIを戦うことになった。

あいつは本当にすごいと思う。僕だったらそもそも自分が演者に向いてないとか客観的に見ることはできるだろうか。優勝したいのに出場しなくて良い、正直僕には意味が分からない。優勝するんだったら自分も出場して優勝したい、たぶん大体の人がそうだと思う。あいつも少なからず、その気持ちもあったはず。でもそれを捨てて僕たちにとって良い選択をしてくれた。3年間やってきた思い入れがあるからというような単純な理由しかない僕とは違う。それにあの当時漫才なんてほとんどやったことのなかったエシャロットにかけたのも今考えると信じられない。

11月から2月までの3ヶ月間、急ピッチで準備した。あいつと樋口と僕の3人でネタを作り、ネタを合わせた。主観的にも客観的にも意見をくれるあいつの存在はありがたかった。今までやってきた禅マルコムはもちろん、エコロや樋口のカーヴィンでやってきたことを糧にして僕たちなりに最高の物を作り上げることができた。

あいつはエシャロットだけではなく、ナイスバディやおさるにもネタを作るところからネタの見せ方の部分まで細かくアドバイスをしていた。外から見たらあいつは誰なの?と思う人もいるのかもしれないけれど、僕らからしたらあいつは紛れもなくチーム台北の一員だ。あいつがいなかったら決勝どころか敗者復活戦にも勝ち上がらなかった、絶対にだ。

結果、チーム台北は優勝出来なかった。決勝の終演の後、やり切ったという気持ちと悔しさで涙が流れてしまった。決勝にまで行って悔し涙を流すとは思わなかった。優勝したかったなぁあ。でもやってきた事は流石に間違いじゃなかったでしょ。

決勝の2日後に文理落研の卒業ライブがあった。前日に禅マルコムのネタ合わせをしたらあいつは半年のブランクでめちゃめちゃ漫才が下手になってた。4年間でこのネタ合わせが1番楽しかった。

卒ライ当日。あいつはいつも通りちゃんと寝坊した。1部のトップだったので急遽香盤を変更してもらった。ちなみに卒ライの香盤を決める時に僕らがトップをやりたいと志願した。芸会やNOROSHIで計4回もトップバッターにされたのに自分達がトップやりたい時はトップできないのかよ、皮肉なもんだぜ。

僕はこの大学4年間の中で沢山の選択を間違ってきた。暗転板付きで漫才をしてしまったり、合コンで知り合った女の子を朝イチのガクコメに呼んでめっちゃスベッたり、酔っ払った勢いであんまり話したことない女の子を飲みに誘って変な感じになってちゃんと断られたり、コロナで学校がオンラインになる直前に学校の近くに引っ越したり…。僕は全然正解を選べない。だけど絶対に間違っていなかったと言えることがある。最初の相方をあいつに選び、禅マルコムというコンビを組んだことだ。

激アツ旅行

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