身体の内側へ

フェルデンクライスメソッドを始めて一か月たった。


フェルデンクライスメソッドが他のスポーツと違うところは内側から変わっていくことだろうか。元気なころはスイミングが趣味だった。その頃は、プロテインを飲んで自分を追い込み早くなればなるほど筋肉がつき”武装”していく自分がいた。コーチの鼓舞する声にけしかけられ、もう苦しい、止めたい、と吐く息が泡となって消えていくのを見ながら息継ぎを我慢して、更に手足を高速で動かし続けた。そして私は学習した。死にそうに苦しくてもそれを乗り越えれば、いい結果は必ずついてくるものなのだと。


一方、フェルデンクライスメソッドは、それとは正反対の考え方だ。先生の声に合わせて体を動かしているのだけど、痛かったらしなくていいし、苦しいことは一つもない。自分の体と丁寧に対話していく作業。水泳はコーチの声を聞く作業だったけど、フェルデンクライスでは自分の体の声を聞いてあげる。

その結果、今までかぶっていた沢山の武装が少しずつ解かれていく。それは体の筋肉がなくなるという意味ではなく、この社会でこうふるまわなければならないと自分に課し、体の自由を奪っていた武装という意味だ。他者から押し付けられ、自分に課していた武装が私の体の滑らかさを奪っていた。


1か月たって自分の中に軸ができ始めているのも感じる。武装が全部剥がれて自分の身体を取り戻した時、社会に規定されない(動物になるといってもいい)ブレない軸を持つ本当の私になるのだと思う。


自殺未遂した時は、壁の隅に追いやられもう逃げ場もないと思っていた。死ぬことで解放されると思っていた。壁に追いやられどうにもならないときは内側に入り込むことによって別の世界が見えてくる。それが違う次元の解放のスタートなのかもしれない。

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