誰も心の奥底では世の終末の到来を望んでいる。

自分から話すことは今後一切無いと思うし、誰にも自分から言ったことなんてないことだけど僕は左目が義眼なんだ。生まれ年は97、定義の上ではZ世代だがそうではないと感じてる。かといってミレニアル世代でもないという類いのなんとなくの疎外感を持ち合わせた年。涼しかったらしい初夏に生まれた僕の左目は生まれつき病気だった。だから僕の眼が最初に見た景色はなんだったかとか最後に見た景色はなんだったか、わからないよ。

僕の性格がこんな風になってしまったのはガラスの虹彩からの景色があまりにも薄情なものに見えるからだ。例え本来は暖かいものであっても惰性と損得にまみれた辻褄がこすれあって摩擦熱を見せかけているように見えるんだよ。そんな面倒な物の見方のおかげで随分と苦労することになった。勿論、これが自惚れだということは分かってる。そんな自惚れに最初に気付いたのはジュニアの野球で簡単なセカンドフライを取れなかったとき、転んだ僕の義眼が外れたんだ。あとはわかるだろ?最悪だった。

義眼であることがコンプレックスになってるからだって?違うね。実際君も言われてみるまでわからなかったはずだ。いや今も分からないだろう。技術と家族の暖かさっていうのがここに同居してるんだ。実際、毎朝鏡を見るとき瞳が呟くくらいなんだ。「このクソ野郎。」ってね。

親の温もりを感じながら人の良心に疑いを持ってるって?違うよ、わかってるんだ。そういう暖かさはあるともないとも言えない。同じようにこの冷たさもあるともないとも言えない。だけどそれらを感じるのは眼だけじゃない。そうだろ?肺や肌や細胞や、心だって感じるものだろう。僕にだってハートはあるんだよ。この眼との相性は置いておいてね。
自分勝手なんだ。だから自惚れなんだ。

月曜日の朝はいつも卵料理を食べてる。大学三年生の春、将来や人生に嫌気がさしてどこかにいきたくなった。正確に言えばいつなんどきでもそうだけど。今も何処かに行ってしまいたい。
まあとにかく、どこかに行こうと企んだ僕はタイにでも行くことにした。そう、トランジット。
問題はお金だった。僕の身体にはお金がかかるから両親にこれ以上の負担をかけてはいけないと、アルバイトをいくつか掛け持ちした。それから衣食住の衣食を簡素なものにした。いもしない友達に会う予定もなかったからね。
そうこうして五ヶ月が経つと四年は向こうで住めるだろうと言う位の額が貯まった。
その時、ほとんどの食事を野菜と豆腐と卵にしてたんだ、あと蒟蒻と納豆。月曜が卵料理なのもそのせい。
知ってる?向こうじゃ生卵が食べられないんだ。おかけで僕は旅費の五分の一を医療費に使った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?