東京都知事選に思う

 今、東京都知事選で話はもちきりである。私は名古屋の近郊の農村部に住んでいる。私は東京都知事選とは全く無関係である。しかし、現職の小池知事と立憲民主党と共産党から推薦されている蓮舫氏が立候補することで、がぜん、東京都知事選は盛り上がってきた。しかし、どちらが勝っても東京都民の生活に大きな変化は無いだろう、そう,私も東京都民も思っていると邪推する。

どうしてか、それは異次元の総理大臣があまりにもぼんくらで国民に不人気であるからである。これまで多くの地方選挙で自民党は大敗してきた。これこそ「政治と金の問題」であった。しかし、私は政治と金の問題だけではないと思っている。政治家が、特に自民党議員の一部は大きな権限を持っている。大きな権限を持てば当然莫大な利益が上がる。当然すぎるほど当然なのである。
政治と金の問題は、特に日本の戦後の政治を一貫して続いている伝統なのである。同じ国家社会主義を標榜するナチスドイツと、日本の国家社会主義とは全く違うのである。どうしてヒトラーが圧倒的なドイツ人の支持を得られたのか。どうして日本の国家社会主義がもろくも崩れ去ったのか。

この大きな問題をNHKのバタフライエフェクトで理解できた。
戦後のドイツをバタフライエフェクトは映像で放映した。
日本の国家社会主義者は、贅沢を禁止した。兵隊さんも貧しい軍服であった。ボロボロの服をまとい、ボロボロの帽子をかぶっていた。日本の国家社会主義者は貧しいことを誇りにしていた。民間人も同じである。皆、モンペを履き、贅沢は敵であると日本の国家社会主義者はうそぶいた。

同じ国家社会主義国であるドイツでは生活が豊かであった。敗戦時のドイツでも、女性はスカートをはき、ストッキングまではいていた。ドイツ軍は立派なヘルメットをかぶり、立派な軍服をまとっていた。アメリカ軍よりその軍服一つをとっても、立派であった。勿論、貧しい日本軍とは比較にならない。これでは科学技術に遅れ、貧しい日本が欧米の先進国に勝てるはずはない。

戦後、ドイツに進駐したソ連の兵士は「どうして、ドイツが戦争をしたのか解らない。私たちの祖国のソ連よりナチスドイツの方がずっと豊かな生活をしている」と言ったと言う。ナチスドイツが国民から圧倒的な支持を得たのは、ヒトラーの内政にあると思う。今でもかつてのナチスドイツの時代は良かったと、回顧するドイツ人が多いと言う。


東京の都知事選で言いたい放題である。小池都知事は東京に核シェルターを作ると言う。小池も蓮舫も、子育て支援に莫大な補助金を出すと言う。馬鹿にするにもほどがある。これこそ増税路線に他ならない。これこそ「ばらまき」政治と言わずして何といおうか。
教育の無償化は当然かもしれない。私の小学校時代、授業料はほとんど無償化であった。ただし給食費として月に当時の金で500円くらい払ったであろうか。牛乳などはとんでもない。アメリカ軍から支援を受けた脱脂粉乳である。高校は弁当であった。大学では金がないので生協のランチ、当時一食80円くらいであった。確かに物価は安かったが、長崎と言う地方大学でも、魚、肉など食べたことはほとんど無かった。授業料は月に千円、半年で6千円であった。

長崎の隣に久留米大学と言う私立の医学部がある。ある時偶然、久留米大学の学生と話した。私は驚いた。
「俺たちは久留米大学で授業料は年に200万円であった。安かった、安かった」と喜んでいる。当時の国立大学は年に1万2千円、久留米は私立では安い方だろう。しかし、それでも200万である。今はいくらになっているかは知らない。おそらくその2,3倍になっているだろう。

話はそれたが、小池東京都知事、蓮舫氏がどんどんばらまき政策を公言している。社会福祉、児童問題も同じである。
「私が当選したら、少子化問題を解決します。子供をたくさん産んだら、補助金をあげます。」
馬鹿を言うにもほどがある。これらの補助金は東京都民の血税なのである

確かに日本は言論の自由がある。しかし、これは一般庶民の話である。政治家は言いたい放題は許されない。

かつておちょこちょいの政治家が
「日本は先進国である。先進国は印鑑は使わない。すべてサインである。」
と言い、印鑑不要論をぶち上げた。
日本は言論の自由がある。しかし、それは一般国民の話である。いやしくも、一国の大臣が、東京都知事に立候補している人たちには、言論の自由は無い。政治家は発言したことに責任を取ることは当然すぎるほど当然である。政治家は言いたい放題では済まされないのである。

今回は東京都知事選である。東京の問題であり、私のような農村部の人間が口を出すのはおかしいと言えばおかしい。しかし、東京は日本の中心である。東京の政治の影響は農村部にも確実に及ぶだろう。東京が核シェルターを作れば、私のような農村部でも核シェルターを作るかもしれない。東京が子育て支援の補助金を増額すれば、農村部でも子育て支援の補助金を増額しなけらばならないだろう。

東京は大企業の本社がある。税収は当然日本一である。しかし、東京の政治は地方に確実に波及するのである。

今私たち国民が望むのは、減税である。財政拡大ではない。緊縮財政である。財政的に豊かな東京が財政拡大路線を採れば、県も市も、果ては農村部まで財政拡大路線を採らざるを得なくなる。


結論
私は消費税減税をかねてから主張している。勿論、消費税は国会で決めることであり、東京都と言えども消費税に口出しできないことは十分に理解できる。しかし、地方でも地方税があるように、東京にも都民税がるはずである。核シェルターを作るとか、社会福祉を増額するとか、ばらまきに使う金があるなら、減税をするべきである。しかし、現実には国会でも消費減税は無視され、東京知事選でも、核シェルターや福祉と言う名目で減税は一切議論されてはいない。
福祉は重要である。憲法でも述べている。

「日本国民は健康で文化的な最低限度の生活を送る権利がある」

この言葉を盾にして国家社会主義者は増税路線を貫いている。私は社会福祉も国家社会主義では否定する。福祉と言う美名でどんどん増税をするのである。典型例は介護税である。介護税で儲かるのは「介護ビジネス」の経営者のみである。そして介護ビジネスを許認可する官僚のみである。

介護をビジネスとしてはいけない。

介護の先進国であるスウェーデンでは介護の大部分を地方公共団体が担っていると言う。何でも民営化すればよいという訳では無い。特に営利目的で介護をすることに関しては嫌悪を覚える。
介護施設は営利を追求する民営化になじまない。現在、多くの市民病院が赤字にあえいでいる。市民病院に隣接して公営の介護施設を作るのはどうだろう。
今、民間の営利を目的とする介護施設で急病が発生したらどうなるのだろうか。対処に苦労するだろう。しかし、市民病院が介護施設を運営したら、介護施設の救急医療は少なくとも今より改善されるだろう。そして市民病院の赤字体質も改善されるだろう。

農村部の私にとって東京都知事選は無関係である。しかし、東京都の影響はこの農村部にも波及するだろう。

今日本は経済的に国難にさらされている。
確かに社会福祉も必要かもしれない。しかし、今、日本に必要なのは減税なのである。このためには核シェルターは要らない。子育て支援の補助金も要らない。大事なのは減税なのである。
この当然の主張を都知事選では重要視されない。

今日本は空前のバブルに沸いている。株価は史上最高値を更新し、企業収益は確実に改善している。

異次元の総理大臣はゼロ金利政策をぶち上げた。預金は投資に回せと基地外のように叫んでいる。まさに異次元の総理大臣は痴呆としか言いようがない。ニーサという投資環境を整えた。余剰資金が日本に投資されれば問題は無い。日本で集めた余剰資金は国内の生産に投資されずに、先進国に流入しているのである。

いま世界は大きく変貌している。
アメリカでは民主党であるバイデンから共和党のトランプに政権は移ろうとしている。ドイツではメルケル首相が誕生した。イギリスでは保守党から労働党に政権は移った。
山崎豊子氏の「沈まぬ太陽」は本当なのであろうか。太陽とは日本の日の丸のことであろう。本当に日本型国家社会主義は永遠に不滅なのであろうか。

日本人が今一番望んでいるのは、「豊かな生活」である。

何度も言うが、先進国であるドイツも、イギリスも、アメリカも政権交代をしている。どうして日本のみ自民党一党独裁なのであろうか。考えてみると中国もロシアも一党独裁である。日本はどうして中国やロシアを理想国家としているのか意味不明である。

民主国家に政権交代は絶対に必要なのである。日本の悲劇はここにある。自民党に代わる政党が無いのである。


結論
自民党独裁でも私は構わない。今日本の株価は空前の暴騰をしている。しかし、国民はその恩恵を受けていない。国民が豊かになることこそ民主主義の原点である。大企業は儲かる。しかし日本国民は途上国並みの生活をしている。

私はかつてクラブの常連であった。私の行きつけのクラブはフィリピン人が多い。そのフィリピン人が言った。
「どうしてこんなに円が安いの。これでは実家に仕送りできない」
とぼやいている。

どうして日本は先進国から途上国に没落したのか。この理由は簡単である。
私の小学校時代、「安かろう悪かろうの国産品」「国産品を愛用しよう」が政府のスローガンであった。これが一瞬であったが、「メイドインジャパン」が世界を席巻した。高い技術力を持ったメイドインジャパンが世界を席巻したのである。
しかし、一瞬であった。日本の技術は今では、中国、台湾、シンガポール、韓国に敗退し、アジアの技術大国の地位を失ったのである。

日本の構造的な不況は日本の国家社会主義的な発想にあることは論を待たない。しかし、それと同じくらい大きな問題は、日本の科学技術力の衰退である。かつて技術のソニーが、そのキャッチフレーズを転換した。技術のソニーは科学技術力では欧米先進国にはかなわないと断念、技術のソニーから保険にその軸足を移した。いまや技術のソニーではなく保険のソニーなのである。その代表は自動車のEVである。誰が考えても燃費や大気汚染の観点からEVが優れているに決まっている。科学技術に遅れた日本では、従来のガソリン車より燃費がいいハイブリッドを推奨している。今の日本にEVを開発する力は無いのである。
どうして日本が科学技術で途上国になったのであろうか。これは日本の最大の悲劇である。この理由に関しては次回述べたい。

結論
今回の都知事選で、従来の都知事が当選しようと、蓮舫氏が当選しようと、東京都民の生活は何も変わらないであろう。ある意味では人気投票なのである。ばらまき政策(福祉政策を含めて)はもう止めねばならない。
今日本で一番大事なことは、「減税」である。どうして誰も減税を叫ばないのか、私には理解不明である。そしてこの重要な問題を誰も語らないかは意味不明である。
かつて河村氏が「減税日本」を打ち出した。河村氏は今は名古屋市長である。私は名古屋市民ではない。本当に名古屋市は減税に成功したのであろうか。

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