エッフェルおばちゃんと日本語

国会議員が歳費でエッフェル塔に登ったと言う。
歳費でエッフェル塔に登ったこと自体は悪いことである。かつて私の村でも村会議員が、視察と称して海外旅行に行っていた。どうして村会議員が海外に視察するのであろうか。理解に苦しむ。しかし、問題はその事ではない。
日本語の問題である。

私の知人、とはいってもスナックのフィリピン人のホステスである。日本語は難しいと、よく言われる。確かに日本語は難しい。日本人でも日本語を理解できる人はいないであろう。

私はフィリピンパブが大好きである。理由は安いからである。私の知人は鬼瓦のような顔をしている。かつてジャニー北川という非常識な男がいた。ジャニーと言うのは私の独断の考えであるが、ジェームズ・ディーンのことであると思う。私の知人も鬼瓦のような顔をしている。その鬼瓦のような男が、フィリピンパブで、「俺のことをジャニーと呼んでくれ」と言う。さすがにフィリピンホステスはその場ではジャニーと呼ぶが、すぐ忘れてしまう。
そのスナックでは、なぜか、アメリカのスターが大好きなようだ。ちなみに私も好きなアメリカのスターを聞かれた。わたしはトム・クルーズが大好きである。
「じゃ、あなたはトムと呼んでいいですか」
でもトムは語呂が悪い。自然に立ち切れた。いまではいつものように「先生」と呼ばれている。かつて私は開業医をしていたからである。しかし、今でも医師免許は持っている。だから先生と言われても全くの虚偽ではない。最近では以前のように、スナックでは先生と呼ばれている。
日本語が難しいのはこのことである。

歳費でエッフェル塔に登ったことは悪いことである。それはメディアは批判することである。日本語はその言葉で、称賛するか、卑下するかが決まる。だから日本語は難しいのである。

誰が考えても「エッフェルねいさん」はおかしい。彼女たちは家に帰ると家族に言うだろう。
「ねえ、ねえ、私は日本ではおねいさんと呼ばれているのよ。」
「エッフェルねいさん」は満面の笑みで喜んでいるだろう。

国会議員は頭が悪いのだろうか。国会議員のおばさんたちは、次はエンパイアステートビルに登るだろう。そして自慢そうにおばさんは家族に言うだろう。
「ねいねい。私は歳費で、エンパイアビルに登ったのよ。私はエッフェルネねいさんではなく、これからはエンパイアねいさんと呼んでね。」
誰が考えても、彼女たちは決して「ねいさん」でなく、紛れもなく、おばさんである。これに気付かないのが国会議員であり、それを称賛したメディアの責任でもある。


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