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僕がこの仕事を選んだ理由

初めまして
くわえ鍼灸整骨院 加 大輔と申します。

日頃は、兵庫県尼崎市南武庫之荘で鍼灸整骨院を運営しております。治療業務はもちろん、トレーニングの指導や美容の施術まで幅広く皆様の健康のお手伝いをさせて頂いております。

また、ボランティアチームMOVEのメンバーとして活動しております。

今回、初めての投稿となります。

実は今日33歳の誕生日です。笑 1988年5月19日生まれ。

はい。おめでとうございます。
自分で自分へおめでとう♪笑♪


33歳新たに、自分の苦手分野に挑戦しようと思い、このNOTEの場を借りて、自分の日頃考えていることや健康情報の提供など、気軽に文字起こししたいなと思っています。

お話するのは、得意なのですが文章にするのがとても苦手、そして、何よりもSNSが苦手で文字お届けするということから、逃げてきました。笑。


だから33歳オジサン今年挑戦します。


33歳まで多くの事をインプットさせていただきました。次はアウトプットしていこうと思います。

お気軽にお付き合いください。


まずは、加 大輔がどうな人間なのか?

知ってもらえたらと思いこの投稿に決めました。話はいつも長く暑苦しいと言われますが、どうぞよろしくお願い致します。

幼少期


お節介で頼まれてもないのに、人のお世話をするのが好きだったようです。

友達や先生に頼ってもらいたくて、その気持ちが強くて自らお節介を焼きに行くそんなややこしい少年でした。笑。うっとしい奴やなぁ~と多くの友達が思っていたかもしれませんね↓笑↓

今でも仲良くしてくれいるお友達ありがとう♪

でも、今振り返ると原点はここにあるのかもしれませんね。

せんせーせんせーせんせーと頼ってもらいたいたいなーと思っていたのかもしれません!

図1

あら、かわいい 女の子とよく間違われていたようです。笑


学童期


中学生の時から、僕の将来の夢は?と聞かれると、リハビリの先生と言葉を発していました。


父親が看護師なので、自然と医療系への関心はありました。当時男の看護師さんはとても珍しいかったようですね。色々苦労あったようです。尊敬します。

中学の時に、トライやるウィークといって、職業体験で整形外科に行ったこと思い出します。とても良い経験をさせていただきました。祖母も通っていた病院だったのでとても可愛がってもらったこと思い出します。アキレス腱の縫合手術も見せていただきました。興味津々で見ているのは、僕ぐらいでしたけどね、笑、

今思えば、よく中学生に手術を目の前で見せてくれましたよね、今じゃありえないですよね、、、ありがたい体験でした。


くわえ少年の将来への妄想(夢)は、大きくなっていきます。笑


高校に上がると夢はどんどん大きくなります。将来自分の治療院を持ちたいと思うようになります。

その影響は野球をして、とてもケガが多かったのでよく整骨院にお世話になっていました。

その先生への憧れが大きかったです。

今の医療トレーナー知識を持って本気でもう一度、高校生に戻って野球をしたいものですね。笑。

でも、過去には戻れないので、今は教育の立場から、部活動生の身体のケアやトレーニングの指導させてもらって、後輩に託しています。

この仕事が本当に楽しくて楽しく、とてもやりがいを感じています。

また詳しく書きますね♪


いつか僕も治療院で多くの人から頼ってもらえる、そして多くに人に笑顔になってもらいたいと思うようになりました。

妄想癖があるので、このような風になりたいというイメージすることは得意でした。笑。

今でも将来をイメージすることはとても大切にしています。


すぐに脱線しますね。笑。話していてもいつもそうなんです。悪い癖ですね。すいません。


高校卒業をするとそのまま、柔道整復師の専門学校に入学します。

柔道整復師とはなんぞやって?人もいると思いますのでおいおい、どんな資格なの?なんの仕事なの?みたいなことも詳しく書けたらと思っています。簡単にいうと整骨院の先生の資格です。


学生時代


学生時代にしかできない経験を多く積みたいと思い、働きまりました。なんせ自分の治療院を早く持ちたいという妄想でいっぱいでしたので、笑。

やっぱり妄想(イメージは大切ですね)笑


8時~整骨院で修行

13時~学校で勉強

17時~整骨院に戻ってきて修行

19時整骨院の診療を終え

20時~スポーツジムでトレーナーアルバイト

24時帰宅


というような鬼のような鬼畜生活を3年間送りました。笑。

鬼畜生活と書きましたが、本人は喜んで毎日過ごしております。完全にM気質ですね。笑。


止まったら

死ぬと思っていました。笑。


でもこの時代の僕が今の土台にあるのは、間違いないです。

僕の原点にあることは、「人から頼ってもらいたい」ということに改めて感じたのもこの時代です。


ここで思い出にあるエピソードをひとつ


スポーツジムでアルバイトしている時に、まだトレーナーとしては駆け出しの頃です。

ある会員さんから、「ここの筋肉を鍛えたいんだけど、どうしたらいい?」と聞かれたのですが、全くわからず、「少々お待ちください。わかる者を呼んできます。」18歳の頃です。その経験が僕の中でとても悔しい思いをしたことを今でも覚えています。

会員さんから見るとジムエリアにいるトレーナーは、研修中だろうと、社員だろうと同じトレーナーです。

この会員さんは、僕に頼ってきて下さったのにその期待に応えれない自分がとても情けなく。


「もっと多くの人から頼ってもらいたい」


その為には


「今何をするべきなのか?」

「自分は何を求めれているのか?」

「自分には、何が足りないか?」

「今何を学ぶべきななのか?」

「どうゆう行動をとるべきなのか?」


という問題に真剣に向き合うようになりました。


自分の妄想から今すべき事を逆算するようなマインドになったのもこの頃です。


真剣に向き合うようになってからは、見えるものが本当に変わりました。

その時の感覚は、今でもはっきりと覚えています。


なんかレベルが上がったような気がしました。

🎵トゥーントゥトゥルトゥ~ル🎵

何やこの効果音!笑。


多くの会員さんか頼っていただけるようになりました。多くのトレーニングメニューやリハビリメニューを組ませていただいて症状を改善してもらい、喜んでいただいた事は、<僕の財産>です。


柔道整復師科を卒業する頃には、もう次の目標は妄想済みです。笑。

鍼灸師学科の入学です。自分が治療院をする時に鍼灸治療というのが大きな武器になること妄想しておりました。なんせ妄想癖が強いので。笑。


鍼灸師学科に入学と同時に、もう一つ仕事を増やします。

「どんなけMやねん」と思ったあなたその通りです。どんどん妄想(自分の治療院)に向けめて、喜んで追い込んでいきます。笑。


クリニック(整形外科)での勤務です。


これにも大きな妄想があります。同じ運動器の問題を抱えた人を治療することには、変わりないのですが、お医者さんの見立てや考え方、レントゲンやMRIなどの画像診断を学ぶためです。

この経験は、必ず将来役立つと確信しておりました。というか妄想しておりました。笑

その妄想は大的中です。今の診療業務でも、整形外科勤務時代で学んだことは、とても役立っております。お医者さんならどのような見立てをするか?やレントゲンなどの画像診断もこの時に学んだ大きな武器となっております。


そんな中、僕の妄想を加速する大きな出来事がこの後起こります、、、、、、、、


さぁ〜この後 加 大輔はどうなるのでしょうか???

👏パチパチパチパチ〜👏

一つのNOTEでまとめるつもりだったのですが、書いていると長くなりすぎましたので読んでくださる方も疲れたと思うので、、、この辺で眼精疲労注意ですね。笑❗️


まとめ


加 大輔は幼少期から一貫して「頼られたがり」という事です。
頼られるとすぐ喜びます。

そしてどうすれば、期待に応えれるか?すぐ妄想します。

そしてすぐ動きます。そんな人間です。笑


だから頼って下さい。笑。



後半に続く、、、笑



長い文章読んでいただいてありがとうございました。


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