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浅丘ルリ子トーク&シネマ①

 発表から半世紀以上も経つのにも関わらずデュエット曲の定番であり続ける「銀座の恋の物語」。2024年5月13日(月)、その歌を効果的に使った同名の1962年公開の日活映画を鑑賞し、石原裕次郎さんとともに主演を務めた浅丘ルリ子さんのトークを聞いた。
 東京・有楽町I'm a showアイマショウで「~浅丘ルリ子 トーク&シネマ~『1960年代日活映画☆浅丘ルリ子』」というイベントが行われた。
 まず、映画を鑑賞した。監督は蔵原椎繕。
 娯楽映画だ。でも単なる娯楽映画ではなかった。ところどころに時代の風潮や人のあり方への批判的セリフが散りばめられている。でもそれが決して説教のようには聞こえない。いや分からない。さりげない粋がある。
 映画が娯楽の王様だった時代の作品だけに、知っている俳優たちが次から次へと登場する。もちろん彼ら彼女らの若かりし頃だ。
 そして銀座はやはり銀座だ。そして60年以上前の銀座は今よりも活気があったのではないかと思わせてくれる。
 裕次郎の魅力。そしてチャコを演じる浅丘ルリ子さんの愛らしさ。浅丘さんの話し方の節々にのちの寅さん映画のリリーに通じるものを感じる。それは浅丘さんのもしかしたら地なのかもしれないとも思う。
 さまざまな伏線が話が進むにつれ一つ一つ謎を解かれてゆく。ハッピーエンドに向けて悲しませたり喜ばせたり、ジェットコースターのよう。
 ジェリー藤尾さん演じる裕次郎の友人がいうー「お前、まだ愛なんてやつを信じているのか」と。答えはイエスだとジェリーさん自身も分かる。人間を見る目が暖かく、心がそこにある映画だ。


 さて、映画が終わると浅丘ルリ子さんと聞き手の二見屋良樹(フリーペーパー「コモレバ」)さんが登壇した。
 「私は21歳でした。裕ちゃんとは初めてではなかったけど、二人でちゃんと映画に出るのは初めてでした」と浅丘さん。
 そう、1962(昭和37)年に浅丘さんは10作品に出演するが、そのうち5本で裕次郎さんと共演している。
 「銀座の恋の物語」は5年ぶりの裕次郎さんとの共演だった。
 「石原裕次郎さんという人の性格は誰にも嫌われることがなくて、特に男の人に裕次郎さんを好きな人が多くて、俳優さんやスタッフが部屋に集まっているような時に私に電話があって「ルリ子、部屋に来い」っていうから伺うと、男の人がいっぱいいました」。
 「あんなどなたにも好かれる方はいませんでした。(小林)旭も裕ちゃんほどではありませんでした」。


 「銀座の恋の物語」など蔵原監督作品が浅丘さんにとって女優としてのターニングポイントになったという。「すごく繊細な男の人で、しかも俳優のようにかっこいい人でした」。
 「女の人の神経まで分かるような人で、細かい所まで書いてくださったのでやりやすかったです・・・4本も(蔵橋監督には)やらせていただいて、私をこれでもかこれでもかって細かく拾っていただいて、私は監督にすごくあこがれて、好きになったんです」。
 「小林旭さんとも互いに好き同士だったけど、旭さん付きの記者さんたちに守ってもらって、裕ちゃんはマキさんがいたんだけど、私も旭さんも独身だったので、何かあったら大変だと守ってくれました」。 
 銀座でのスターたちの撮影は大変だった。
 「服部時計店の通りを歩くだけで大変で、私たちは黙って二人で列の中に入るんです。撮ってますよってするとみんなが見るから、私たちがみんなの中に入って歩かないと撮れませんでした」。
 最後のほうで交通事故で記憶喪失になっていたのを記憶を取り戻すシーンがあるが、浅丘さんは「見ると私けっこうすごいじゃないって、ちゃんとやってるじゃないって、びっくりしてしまいました」。


 

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