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今とラジオと
「今が大事」
3か月前に聴いたラジオのパーソナリティが言った。
「結局今なんだよね」
一昨日聴いたラジオのパーソナリティも言った。
そのラジオを3年前の自分に聴かせたい。
そこに流れていたのは肩肘張った「今」じゃなく、ただただ目の前にある現実であり、ありのままの今だった。
許されようとすることは暴力になる。
言いたかったことは沢山ある。
聞きたいことも沢山ある。
でも今の意味を私のものに出来なかった自信の無い自分のせいだから。
あの時があったからって前を向く自分と、あの時あんな風だったからって顔を上げられない自分はずっと一緒にいる。
不意に悲しい知らせを受けて、耳から入れていたパーソナリティの笑い声を止めた。
イヤホンだけを耳に残した。
そこにいた私はただ何もできなくて今を生きてみたけど、情けなかった。
その事実が悲しいのか、その事実を受けた自分が可哀想になっちまってるのかも分からない。
繋げたい一本の電話すら繋がらない。
大切なものを繋ぐのがその頼りないたった一本なことすら情けなくてもどかしい。
走っていけたらいいのにって、それすら非現実。
聴き残したラジオと、情けない私が今ここにあるだけだった。
でも伝えられない感謝を、せめて今ここに残したい。
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