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東北弾丸バイク旅②〜3日目、最終日〜

バイクの違和感を感じながらも夕方6時、無事目的地である岩手県の滝沢のおじさん家に着いたのでした。

前回の続きです。

岩手県に到着

きっと岩手県に着いたころには今までにないくらいの達成感や満足感を得られるのではないかとほのかな期待をしていたのだが、着いてみるとこんなものかと思っている自分がいて少しがっかりした。悲しいかな。私は動く椅子に長い時間座っていただけだったのか。

しかし「よく来たなぁ!」という滝沢のおじさんの言葉に励まされ、私は分かりやすく嬉しくなり、誇らしげになれた。滝沢のおじさんがいてくれて良かったと思った。

バイクを降り、今までにない達成感を感じることができなかった代わりに、今までにない体の疲労は感じることができた。もちろん嬉しくはない。

ヘトヘトな私に滝沢のおじさんは温泉へ行こうと提案してくれた。

八幡平ハイツという宿泊施設で、今回は温泉だけを利用したがもしここに泊まれば自然の素晴らしさに気づき、将来は山で自然に囲まれた生活がしたいと言い始める自分が簡単に想像できた。それくらい良いところだったのだ。

ちなみに八幡平の読み方は、「はちまんだいら」でも「はちまんぺい」でもなく「はちまんたい」と読むらしい。なかなか受け入れ難い読み方であった。私はここから3回ほど八幡平の読み方を滝沢のおじさんに確認することになる。書いてる今も不安になり調べてみる。何回確認しても「はちまんたい」なのだ。

温泉で復活


滝沢のおじさんとバイク旅

3日目は今回の旅で唯一岩手県を楽しめる日であった。 

温泉へ向かう道中、滝沢のおじさんに3日目はどのような計画なのか聞かれた私は何も答えることができなかった。

疲れて頭が回らなかったのではない、ただ単に今回の旅は岩手県にバイクで行ってあまちゃんのロケ地を巡るというこの言葉通りのことしか考えていなかったのだ。

きっとおじさんはそんな私を見て相当疲れているのだと思ったのかもしれない、みかねたおじさんは私にこんな提案をしてくれた。

滝沢のおじさんはたまたま東京に出張の予定があるらしく、おじさんは仙台から新幹線に乗って東京に行くから仙台まで一緒にバイクで行けたら良いねという話だった。
仙台までおじさんと一緒に行けたらそんな楽しいことはない。

私はすぐさまその提案にのった。

こうして3日目は滝沢のおじさんの運転により、あまちゃんの聖地岩手県久慈市に到着したのであった。

夏ばっぱのウニ丼が食べたい

あまちゃんを見た人なら一度は憧れるであろう夏ばっぱのウニ丼。
今回の旅のメインといっても良いくらい私はこのウニ丼を食べられる日を心待ちにしていた。

しかし夏ばっぱのウニ丼は1日限定20食。 
予約ができるらしいのだが、計画性ゼロの私がこのことを知ったのは前日の夜。その日の営業はもちろん終了していた。

私はウニ丼を当日予約できますようにと願い、その日は眠りについたのであった。

次の日、ウニ丼の販売をしている「リアス亭」の営業が開始する朝7時に電話をした。電話越しからでも感じる自然な空気感とばっぱの朝7時とは思えない慣れた方言混じりの電話対応に興奮しつつ、私とおじさんの分のウニ丼を2個予約することができた。

こうして私は最速で願いを叶え、無事二度目の眠りについたのであった。

念願のウニ丼は私が今まで食べたウニ丼レベルを遥かに超え、格段にレベルアップさせた。
ウニがこれでもかというくらい隙間なく敷き詰められており、口に入れた瞬間ウニがほわっととろけ、優しく喉を通っていく。これは何個でも食べられるなと思った。

最後の一口を名残惜しくも口に入れ、ごちそうさまをした瞬間、お店のレジ前にまだ誰のものでもなさそうなウニ丼が置いてあるのが目に入った。

まさかと思い聞いてみると、今日はこれで最後のウニ丼らしい。考えた。今思えばすでにこの時点で結論はでていたのかもしれないが、私はしばらく考えた。

ひとつ2500円のウニ丼。旅のお礼に買ったおじさんの分も合わせてすでにウニ丼に5000円使っている。いくら美味しかったとはいえそんな簡単に出せる金額ではない。さらに1日限定20食ときた。もしかしたら私がこのウニ丼を買わなかったことで喜ぶ人がいるかもしれない。いや、きっといるだろう。こんなに美味しいのだから。でもそれで良いのか?このウニ丼を食べるためにはるばる東京からバイクでここまで来たのだろう。次はいつ食べられるか分からない、もしかしたらこれが最初で最後のウニ丼になることだってあるかもしれない。それに喜ぶ人って誰だ?友達か?家族か?そうだ、まだ見ぬ喜ぶ人は予約をしていないではないか、あったらラッキーくらいの心意気の人に私のウニ丼に対する思いは決して負けていない。いや待てよ、違う、そうか私みたいな人がいるから欲しい人のもとに必要な数ものが行き渡らないのではないか。たかがウニ丼されどウニ丼。かっこいい大人はここで欲張ったりしないし、そもそもこんな考えも及ばないだろう。おじさんを見ろ、呆れた顔でこっちを見ているぞ。よし、まだ見ぬ喜ぶ人に私は心の中で小さく会釈し2個目のウニ丼を買った。

2個目のウニ丼は三陸鉄道の列車に乗りながら食べた。海岸沿いの景色を横目に食べるウニ丼はまた格別だ。まだ見ぬ喜ぶ人が列車の窓からうっすら見えた。

憧れの三陸鉄道  

外観


三陸鉄道を走る列車

三陸鉄道は岩手県の三陸海岸沿いを走り、久慈から宮古を繋ぐ北リアス線と、釜石と盛(さかり)を繋ぐ南リアス線の2線がある。
あまちゃんでも重要なシーンではこの三陸鉄道がいつも関係していたので絶対に乗りたかった。
今回は北リアス線に乗り、宮古でバイクに乗ったおじさんと落ち合うことになっている。

久慈駅から乗るお客さんは地元の高校生がほとんどで、観光で来ているのは私だけだった。地元の高校生に囲まれながら、私の三陸鉄道約1時間半の旅が始まった。

乗っている間は窓から景色を見た。ウニ丼を食べた。そしてまた景色を見た。というか三陸鉄道を満喫するには景色を楽しむ以上のことはなかった。

しばらく乗っていると、列車が急停止した。

すると一緒に乗っていた高校生たちが熊だ!熊だ!と騒ぎ始めた。
私の位置からは前が見えず、大きめの山猫とか?なんて思っていると、

「すみません、熊がいたので一時停止しました。」とアナウンスが入った。

熊なのか。

恐る恐る窓の方を見ると、でっかい熊が目を光らせながらこっちを見ていた。

熊だった。

東京にいるとあまり感じることがない野生味100%、しかも熊、今外に出たら死ぬなとか考えていたら列車が走り出した。

そんな頃、私のスマホには「バイクが動かなくなった。」というおじさんからの連絡が入っていた。

さよならバイク

三陸鉄道に閉じ込められた気分だった。三陸鉄道は何も悪くない。もちろん分かってはいたが、バイクの一大事に落ち落ち景色を見ることしかできないなんて、、急にさっきまで癒しだった海や森が憎く思えた。

バイクはおじさんの迅速な対応により青森県の修理工場まで運ばれることになった。
そしておじさんから写真が送られてきた。

これが私が今回の旅で見たバイクの最後だ。 

故障の原因は、簡単に言えばバイクの温度が高いまま走り続けたためのオーバーヒートだった。しかし元はといえば私が2日目にバイクの違和感を感じたときすぐにバイク店へ駆け込まなかったのがいけなかったのだが、、

帰りはおじさんが車で宮古まで迎えに来てくれ、そのまま東京へ帰ることになった。
おじさんは、お前さんが乗っているときじゃなくて良かったなと笑った。

その時のおじさんはマックスよりもマックスだった。

私はそんなおじさんが運転する車の横に乗り、東北自動車道の景色を眺めながら自分がマックスだった頃を思い出し恥ずかしくなった。

おしまい

あれから2週間経った今でもバイクは修理中です。直りますように。。


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