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キョージンナリズム番外編『キョーレツナリズム2013』中篇

 から続く

 そのシンセサイザー少年の名前は、トミタ君。冨田勲の息子か、とよく冗談言われていた。私が出会った時には、トミタ君は音大の2年生で20歳になったばかりかな。年齢からすると、もちろん「少年」じゃないんだけど、見た目も雰囲気もまるで少年なのだ。まっすぐ見つめる目、白いシャツのボタンを上までとめて、髪は当時でも懐かしいテクノカットのつもりだったかもしれないけど、まるで坊ちゃん刈り。背は低くないのに、なんか私立名門中学校に通うお金持ちの少年のようだった。発言は控えめで、でも音楽を語り出すと熱くて止まらない。シンセ奏者だけど、エスニック音楽にやたら興味を持っていて、そういうCDも私よりもたくさん持っていたし、民族楽器にも興味津々だった。たまたまトミタ君が通う音大の先生が知り合いで「彼のシンセは良いよ」と紹介されたのだ。トミタ君もエスニックに興味あるから、私が民族打楽器奏者だと言うだけで、いろいろな質問を浴びせかけて来た。その熱い目。もちろん燃えてる相手は音楽で、私に対して燃えているわけではない。
 私は年下の男の子に興味持った事なんてなかったのだけど、トミタ君に会ってみて、なんか可愛いな、とちょっとトキメいた。ちょうど私は、85年からつき合っていたリューノスケとはだんだんすれ違いが起きて、なんか疎遠になり始めていた頃だ。
 私は89年の秋に、トミタ君が音大の学園祭でソロ・パフォーマンスをすると聞きつけて観に行ってみた。学校内の一部屋に、トミタ君はシンセサイザー4台くらいを組んで、リズムはシーケンサーを鳴らしてライブを始めた。今思えば、あれは80年代の終わりにクラブシーンを席巻するハウス・ミュージックの最新型の先取りだった。ざっくりとしたハウスビートとベースラインに乗って、トミタ君はシンセ手弾きで自分で作曲したメロディを弾いた。反復が多いが、印象的な旋律を変奏していた。ふーん、音楽は整然としているけど、手弾きのアドリブになると、トミタ君はけっこう熱いプレイになる。打ち込み野郎かとおもってたけど、けっこう生演奏野郎だ。何曲目かに、速いハウスビートの上にバリ島のケチャの声がサンプリングされて乗っかってる曲が始まった。すると、急に客席から女の子が飛び出して来て、マイクもないのに、よく通る声で歌い出した。その子は、アラビックな旋律を印象的な声でろうろうと歌う。びっくり。サプライズ演出なの?
 その曲が終わると、その女の子はすっと客席に戻ってしまった。そして、2曲ほど演奏するとトミタ君のライブは終わった。私はトミタ君がいろいろな人に話しかけられるのが終わるのを待って、彼に声をかけた。トミタ君は私が聴きに来たのをとても喜んでくれた。私はひとしきり話してから、彼に聞いた。
「あの女の子は、最初から歌う予定だったの?」
「いや、飛び入りだよ。やよいちゃんとは、いっしょにユニットやったりしてるけど、今日は予定なかった。僕もびっくりした」
「ふうん、で、トミタ君の彼女なの?」
「いやいやいや、全然ちがう」
「なんで一所懸命否定してんのよ」私は笑った。その『やよいちゃん』は、いつの間にかいなくなっていた。(ところで、この『やよいちゃん』は何年後かに「柚楽弥衣(ゆらやよい)」という名前で個性派ヴォーカリストとして有名になる。世の中面白いもんだ)
 私がよく使うフレーズで『80年代は、テクノとエスノは表裏一体』というのがある。あの時代、どちらに興味を持って突き進むかは「たまたま」のきっかけによるものだったと思っている。正反対に向かうように見えて、実は同じベクトルなのだ。君はそっちに行ったか、僕はこっちに行くよ。というわけだ。その両方を80年代に濃密にやった細野晴臣さんが証明している。
 面白い事に、この『テクノとエスノは表裏一体』というフレーズを言い出したのは、トミタ君だったのだ。彼は、遅れて来た80年代少年として、なんか80年代の本質のようなものをつかんでいた。私は、そういう風に勘が良くて、不器用に見えてバランス感覚のあるトミタ君がどんどん好きになっていた。
 そんなある日、私とトミタ君はなぜか里神楽(さとかぐら)の演奏公演に抜擢されて、神楽太鼓のサポート演奏をする事になった。トミタ君の音大の先生からの誘いだった。
 私もトミタ君も、神楽の演奏なんてやった事がなかったけど、先生は「君らの感性で何か化学反応を起こして欲しいんだ。神楽太鼓に人がそういう事を望んでいるのだけど、妙にうまくて器用な人が参加するよりも、君らの方が良いと思うんだ」と言った。なるほどね、最大限の褒め言葉なんだと受け止めた。
 公演に参加する事になったものの、私はコンガやアフリカの太鼓をちょっぴり演奏する以外は、えんえん拍子木を打つ役、そしてトミタ君はシンセではなく生ピアノを弾く役だった。私たちは、お互い見つめ合って言った。「なんか、いつもの手慣れた事ができない役回りなんだね。先生は、そういう境地に私たちを追い込みたいのかな?」
 神楽公演は、新横浜駅から少し歩いたところにあるスペースオルタというホールで行われた。神楽太鼓と舞いの人、そして私たち以外にはフラメンコ出身のギタリストが呼ばれていて、この人は人形浄瑠璃に今のめりこんでいて、その伴奏の三味線のような事をフラメンコのテクニックを使ってギターで再現していた。トミタ君は、とりあえずそのギタリストが奏でる浄瑠璃風な音階について行った。私は私なりに、神楽太鼓をよく聴きながら、主に拍子木を打ち続けた。
 公演本番。トミタ君と私は、神楽と舞いに真剣について行った。最初は必死だったけど、途中からどことなくトランス感に襲われて、気持ちよくなってきた。とにかく、繰り返しの多い展開なのだ。繰り返しは、恍惚感を呼ぶ。私もあきらかに途中から楽しくなってきた。トミタ君はどうだったんだろう。グランドピアノに向かう彼の顔は、最後まで必死に見えた。
 公演が終わると、私はトミタ君に話しかけた。大変だった?彼は答えた。大変だったけど、勉強になりました!ううむ、その優等生な答えは、トミタ君ぽいよ。でも、近くで彼の顔を見たら顔が上気していて、彼もそこそこ気持ちよくなってたんだなと思った。
 会場のブッキングマネージャーの人が私たち近づいて来て、言った。
「お二人は、いつもは神楽のメンバーじゃないんでしょう?」
「はい、急に呼ばれました」と私。
「なんかね、いい具合に、違和感と融合感があって、とてもよかったですよ」
 この人は佐藤さんという人で、その後私はとても仲良くなった。現在の日本の、表に出て来ない面白い人をなんとか紹介しようと頑張ってる人だった。地元FMで短い番組も持っていて、さまざまなアーティストを呼んで番組を作っていた。その後私も番組に呼ばれたりしたが、その話は長くなるので、やめよう。ある時、佐藤さんは私に言った。
「幹さん、自分の演奏のデモテープとか作ってないみたいだけど、一度スペースオルタで録音してみないかい?」
「え、いいんですか?本当に?」
 …せっかくのお誘いだから、ホールで演奏を録音してもらう事にした。でも、自分だけのたったひとりの演奏では、面白いデモテープを作れる自信がなかった。どうしようかな。何日か考えてから、ふと思いついた。
『トミタ君と一騎打ちの即興演奏をして、それをそのまま録音しちゃったらどうかな』
 私はすぐさまトミタ君に電話した。彼は快諾してくれた。そして、その翌週にいっしょに録音する事にした。そして、その電話で彼はびっくりするような事を教えてくれた。
「幹さん、僕ね、アメリカのバークリー音楽院のシンセサイザー科に受かったんですよ!春からボストンに行きます!」
 私はあっけに取られた。バークリー音楽院というのは、クラシック音楽ではない音楽院としては、ある意味世界最高峰の学校ではないか!そんなすごいところに受かっちゃったなんて、やっぱりトミタ君はただ者じゃなかったんだ!
 録音の日、新横浜のスペースオルタまでトミタ君の楽器を運搬するために、私は自分の車を彼のアパートの豊島区東長崎に走らせた。彼に教わったあたりに着くと、彼は道に出て待っていてくれた。
 車に、トミタ君のシンセ2台とサンプラー類を積むと、第三京浜の等々力インター目指して車で南下した。第三京浜にすべりこむと、ゆるい下り坂につづいて多摩川を渡り、視界の開けたその眺めの上の太陽はさんさんと輝いており、なにもかもまぶしかった。
 私は最近リューノスケともめったに会ってないし、こうしてトミタ君といっしょに横浜方面に車を走らせていると、なんだかデートみたいだなと思った。
 この時私はカーステレオで何をかけてたかなあ。彼も私も好きな、ビル・ラズウェルがプロデュースしたスライ&ロビーのアルバムだった気がする。トミタ君と私の「新しいもの好き」の方向性はどことなく似ていた。私はスペースオルタに着くまでトミタ君と、あらゆる音楽の話をして、なんか無性に楽しかった。トミタ君は、アンビシャス・ラヴァーズも聴きなよ、と私に教えてくれた。トミタ君は、実は私がまったく知らないハウス・ミュージックにもやたら詳しかったけど、そういう事をひけらかして長々しゃべる人ではなかった。私は、彼のそういう控えめながら、さりげなく主張もする態度が好ましかった。
 そんな風に話に花が咲いていたから、スペースオルタにはあっという間に着いた。トミタ君は、自分の機材をホールに降ろした。私は私で、持って来た膨大な量のパーカッションを降ろした。二人の持って来た楽器の量は大したもので、ステージに並べたら、二人だけでけっこうなスペースを占領していた。私は言った。
「なんか、坂本龍一とナナ・ヴァスコンセロスのセッションみたいだね!」

 に続く 

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