キョージンナリズム 第28話
から続く
87年も春がゆっくりと過ぎて、井の頭公園の桜ももう葉桜になっていた。池のまわりの一角には野外ステージがあって、私は2年くらい前にここでコンガを叩きまくってたら、警官にひどく怒られたことがあった。
今日は吉祥寺まで来て南口の雑貨店「ペンギンカフェ」でエプロンなんか買ってしまった。クールなペンギンのイラストが洒落てるんだけど、私も料理人のリューノスケに影響されたのか、エスニック料理の作り方を覚えようかなと思っている。
このあとは地下鉄東西線に乗って高田馬場へ行く。ひさびさに横浜の植木さんから電話がかかって来て「とにかく驚きのリハーサルがあるから高田馬場のスタジオに見学に行こう!」と言われた。
高田馬場の地下鉄の駅から地上に上がり、よく知らない路地を入ってリハーサル・スタジオに辿り着いた。狭い階段を登る。ワクワクする。だって、ザイールから東京に来て住んでいるミュージシャンがパパ・ウェンバみたいな音楽をやっていると聞いたんだもん!
教えられたスタジオの部屋に入った。すでに演奏中だった。先に植木さんが来ていて、パイプ椅子に座ってリハーサルを観ている。そして!演奏されている音楽は、まさしくパパ・ウェンバのようなリンガラ音楽なのだ!
本当だったのだ。半分信じられない、東京でこんな音楽が奏でられているなんて。私は目を爛々と輝かせて植木さんに言った。「すごいね」植木さんは無言でうなずいた。
だけど、演奏メンバーのうちザイール出身なのはヴォーカリストの男性だけのようだ。ドラム、ベース、ギター、キーボード、コンガの5人は全員日本人だった。
ちょっぴりガッカリしたけど、この日本人たちがけっこうリンガラ・ポップスの演奏がうまいのだ。リンガラ独特の繰り返し繰り返し発酵するように盛り上がる感じをちゃんとつかんでいる。もちろん、パパ・ウェンバの来日公演に感じたような、地中から吹き上げるような「もうどうしようもない」ノリの凄さはない。でも十分に気持ちの良い音楽になっている。
演奏が一度終わって、植木さんからみんなに私は紹介された。(植木さん自身は、知り合いの知り合いからこのバンドを教えてもらったとの事)
演奏メンバーの日本人の人たちからは「ツイン・パーカッションにしたいからぜひ参加してください」と言われた。そして、ヴォーカルのシフェレさんには、力強く握手されて「女性のパーカッション、カッコいいですね。今度ぜひいっしょに演奏しましょう」と低い声で言われた。握られた握力、そして手の熱さに私は少しドキドキしてしまった。彼の肌の色はかなり黒く、とても凛々しい顔立ちをしている。
また演奏が始まる。さっきよりも冷静に聴く。なるほど、演奏は上手いけれど特にアフリカっぽいわけではない。日本人が「ファンク」をベースに一所懸命リンガラのノリをコピーしている感じ。でも、シフェレのヴォーカルが乗っかっただけで一挙にアフリカっぽい空気感になる。つまり歌にアフリカのグルーヴがあり、しかも声質の中に大地に踏ん張ったような粘り強さがあるのだ。
ドラムやコンガは特別な事をしていない。中ではギターの日本人が上手い。「うねり」と「上昇気流」を作り出している。地道なグルーヴ牽引役。パーカッションが引っ張る音楽ではないのだ。
シフェレは歌も上手いが、ここぞと掛け声をかけたりする声も実にかっこいい。さっき私に話しかけた声はあんなに低かったのに、曲が盛り上がるパートでのヴォーカルはものすごいハイトーンなキーで歌う。凄いな。植木さんが言った。
「シフェレはね、なんと日本に来るまでは中国でこういう音楽をやってらしいよ。で、日本人と結婚して日本に来たみたい」
「え、中国?」
「そうなんだよ、中国なんだよ。なんか不思議な話でしょ?」
「いろいろな意味で信じられない」
この日はたっぷり2時間リハーサルを見学して、私は心から満足した。シフェレは再び私に言った。次回のライブでは、あなたに声をかけるかもしれない。そのつもりで待っていて下さい。
本当だろうか。もちろん声をかけられたら嬉しい。だけど、すぐにリンガラ・ポップスのノリが私にできるかしら。
と思いつつ、スタジオの階段を植木さんと降りる。植木さんが「なにか食べて帰るか」と聞くので「いいけど、私は高田馬場のお店はよく知らないよ」と答える。
「少し行ったところに美味しい中華屋さんあるよ」
「横浜じゃないのに知ってるの?植木さんて中華評論家なの?」
「実はそうなんだよ」
と植木さんが笑う。私も笑う。こっちだよ、と植木さんが指差す方向に向かう。飲み屋街なので人が行き交う。
あれ?今すれ違ったのは、リューノスケなのでは。帽子を被ってたから一瞬分からなかったけど、たぶんリューノスケだ。背の高い女性と歩いているぞ。あれれれ。
【注】当時のザイール共和国は、現在のコンゴ民主共和国の事です。
に続く
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