キョージンナリズム 第30話
から続く
ノボさんが、サルサバンドのために日本語のオリジナル曲を書いて来た。
これはどう聴いても傑作だ。メロディアスだし、日本語の歌詞もとても素晴らしい。ちゃんとサルサのフォーマットに乗っかっていて、構成も凝っているけど小難しくはなくてノリが良い。
曲名は『カトンボ』。
♩ 牧師が来て おいらに言ったよ
明日の朝には おいらは台の上で
縛り首に なるのさ
おいらの血は 明日の朝から
もう役には立たない
最後の一晩 いっしょに過ごした
おお カトンボ お前にやろう
カ カ カトンボ おいらの命を
その小さな 腹に貯め
カ カ カトンボ 外の世界で
自由に 生きろよ ♩
…死刑囚が、自分がいつ絞首刑になるか毎日怯えて暮らしているうちに、自分の腕を刺す蚊(カトンボ)を叩いて殺すことも出来なくなったという実話から曲ができたのだと言う。どうしてこんな凄い曲ができしまうのか。
サルサだからトロピカルで楽しげな歌詞、に全くならないところが素晴らしい。
カ カ カトンボ という部分が、ラテン音楽の「クラーベ」というリズムに合っているのだ。とにかくよく出来ている。
ノボさんはピアノと自分の歌だけで、まずは全員に曲を聴かせた。その独演で曲の素晴らしさは十分に伝わった。自信を持って奏でられる音楽とはこういうものだ、という見本がここにあった。
あれほど「日本語のサルサなんてやりたくない」と言っていた他のメンバーが全員感服してしまった。すごいすごいかっこいい流石ノボさんだ、というセリフが飛び交い、ああそうだ、私は思い出した。秋元さんがアラブ楽器を使って日本語のオリジナル曲をやりたいと言っていた事を。
ロックやポップスとは違って、各民族や部族にルーツを持つ音楽に、別の言語を乗せて歌うときは格別のセンスを要求されると思う。なま優しい歌詞では音楽に「はじかれて」しまう。ノボさんはなんとかやってのけた。秋元さんはどう来るだろう。
ちなみにかつての日本の歌謡曲は臆面もなく、海外の有名曲に日本の生活実感の歌詞を乗せて来た。あれはあれで成功で、逆手に行って大衆化させた例。どちらもすごい。
そんな考えがしばし頭の中でぐるぐるしたけど、まずはみんなで『カトンボ』を演奏する事になった。ノボさんの声のカウントで始まる。とてもカッコいい、印象的なピアノのフレーズ。何かの幕が開くようなダイナミックな旋律。そしてその直後、ピアノとベースは6を基調としたリズムを刻み、コンガとボンゴとティンパレスは8を基調としたリズムで進み、双方は48のところで出会ってピタリと合うはずだった。
ところがノボさんのピアノだけがうまく合わなかった。ピアノだけが一瞬早くフレーズを終えてしまった感じ。
「あーごめん、なんか興奮しちゃって俺だけが突っ走ってしまった」
私たちは笑って、再び最初から曲をやり直した。この日の練習はとても充実したものになった。
さまざまな事が並行して進んでいる。
私はハートランドで知り合った佐々木さんに、ブラジルのジョゼさんのライブをプレゼンしようと電話した。電話の会話はとてもはずんだ。佐々木さんはジョゼに興味を持ってくれて、ぜひやりたいと言ってくれた。
「だけど、せめてデモテープがないですか。事前にある程度聴いておきたいので」と言われてしまった。やはりそうだよね。ジョゼさんはデモテープを作っているのかなあ。さらに佐々木さんは言った。
「ところで例のバリに詳しいデザイナー、来週ハートランドに来てくれる予定なんだけど幹さんも来ませんか?」
私は即座に、行きますと答えた。嬉しい。
そうか、出来ればその時にジョゼさんのデモテープがあったらなお良いんだな。そのためには、その前にジョゼさんと連絡を取るべきだ。私は早速ジョゼからもらった連絡先を探した。紙切れが出てきた。川崎市内と思われる電話番号。番号の脇には彼自身が書いてくれた文字で、カタカナで「ジョゼ-ピニェイロ」と書かれている。味のある字だ。私はそう思いながら受話器を取って番号を押した。
に続く
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