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バトンを押し付け生きている

 眠剤を沢山飲んだ次の朝、目を覚ましてスマホのスクショや部屋の惨状、検索履歴を見ても、殆どそれに至った記憶が無い。ぼんやりとそれを遡っていくとようやく記憶が帰ってくる。第三者視点の記憶が。
 暗い部屋の中、眠剤を飲んだ虚ろな目でひたすらに湧き上がる不安を紛らわせるようにネットサーフィンをする自分の姿が。

 最近だと日常生活での記憶も欠落していく事が増えた。目を覚まして腕に痺れるような痛みを感じて昨日腕切りをしたことを思い出す。今日洗濯しないと、と思いながら起きると昨日の内に洗濯された服が干されている自分の部屋が視界に映る。今日読もうと思っていた本を開くともう最後まで読んだ記憶が戻ってくる。ここまではまだ良いかもしれないけれど、取っておいたお菓子が無くなっていたり、貯めておいたお金が無くなっていることに気付き、少し考えて金パブに使ったんだと思い出すこともある。ここで良くないのが、私は私にとっても甘い。昨日の私に『あれ美味しかったよね』なんて語りかけたり『買いに出かける必要が無くなったわ』なんてフォローを入れるくらい甘い。
 そんなことが続くと、段々『昨日の自分』が今の自分とは違う存在のように思えてくる。更に知り合いが他人のように思えてくる。家族と話す時でさえ、他人と話す時の様な不安が襲ってくる。他人と言うより友達の友達、という方がしっくりくるかもしれない。
 ただ、毎回『今日の自分』は「何とか昨日の自分が繋いでくれた『自分』というバトンを、明日の自分に渡さなければ」という意志を抱えたままバトンを繋いで今日を終える。
 安定剤を増やして欲しいと思ったら、ちゃんと主治医に交渉する。腕切りをしたとしても「せめて血は止めてベッドシーツの被害を最小限に抑えなければ」と止血をして除菌シートを包帯ネットで押さえつけて眠る。希死念慮による検索履歴は一応全て消してから眠る。そうやって、最低限のバトンを『明日の自分』に託してやっと『今日の自分』の役目を終える。
 ただ、私は私にとっても甘い。きっと最低限のバトンすら渡せずに、何かのはずみでしんだとしても『今日の自分』は『昨日の自分』に「お疲れ様、おかげでめんどくさいことしなくても良くなった」と言って『昨日の自分』に最大限の感謝を伝え、労い、バトンを拾おうともせずに、全てを投げ出して、今度こそ幸せな眠りにつくだろう。

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