見出し画像

「強さ」について(雑文)

メンタル、物事の考え方、打たれ強さ・・

自分は昔よりだいぶタフになってきたけれど、まだまだ同世代の多くのひとと比較したら、いわゆる「豆腐メンタル」だし、特にストレス耐性なんて信じられないくらい弱い。

過去の自分と比較すれば、確実にいろいろな面で強くなっているとはいえるのだけど。

でも一方で、弱い自分を肯定するつもりではないのだけど、「強い」なんてことは、何の自慢にもならないな、とも思う。

僕は「強い」ということに対する疑いの目をずっと持っている。

多面的に見れば、
一般的に弱さと言われるものが、繊細さ、美しさ、柔軟さ、みずみずしさ、少年性/少女性、etc、みたいなものに直結していることは大いにあるわけだから、強くなればいい、という思考で脳や身体をムキムキにすればいいわけではない。と書くとたくさんの人を不快にさせそうなので補足すると、哲学や美学や信念がなく、ただ「強く」なるためだけに脳や身体をムキムキにするというのがいやなのだ。

また、強さに異様にこだわる人は、自分の中の弱さを直視出来ない/認められない人なのかな、と思ったりもする。

こうして文章を書いていたら、
以前入院していた時に、同じく入院していた患者さんの10代の少年が、「どうすれば強くなれますか」と言っていたのをふと思い出した。自分は弱い、強くなりたい、という意識から来る言葉と思われた。寡黙な子でほとんど会話をしなかったので、結局、その子の背景はほとんど知らないまま僕が先に退院してしまったのだけれど、その言葉にはどこか悲痛な響きがあった。

僕は、10代の子ですら強くなくちゃいけない時代なのだろうか、とか、ここに来るまでに彼はどんな経験をしてきたのだろう、どんな事があってそうしたことを思ったのだろう、いろいろと考えると、心が痛んだ。

僕はその時うまく言葉を返せなかった。そして今でも僕は、その子にかけてあげられたら良かったと思う言葉が見つけられていない。

弱いままでもいいんだよと言っても彼の心には響かないだろうし、ここに書いたようなことを彼にもし伝えたとしても、強くなりたいと思っている彼に伝わる言葉ではないような気がする。歳を取るとともに強くなるよ、と言っても嬉しくないだろうし・・

「強い」人は彼に対してなんと声を掛けるのだろうか。

そもそも、「強い」 ってなんだろうか?
そんなに大事なことなんだろうか?

強くないといけない、みたいな通念とか価値観がどれだけ多くのひとを苦しめているか。そろそろ、2020年代にもなってそういうのいいでしょ、となっていいはずなのに、まだまだ根深い問題だ。

かくいう僕も、強くなりたい、と思ってしまうときがあるわけだけど、それが僕の弱さなのだろう。

弱くも強くもない存在になりたい。

「強さ」への疑いの目はずっと持ち続けていたいなと思うし、
強さを誇示する人や強さにこだわる人に対して、問題提起とカウンターをしたいという気持ちも、少しだけある。

あのときの少年は今どこで何をしているかもわからないけれど、弱くても強くてもいいから、生きていて欲しいな、と思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?