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舟を沈めない

このまま音楽をひたすらやって、狭い視野のまま葛藤しつづけながら、ひとりで死ぬのだろうか。

それはそれでひとつの生き方として美しいのかもしれない、とも思う反面、そんな人生にはしたくない、とも思う。
音楽は大好きだから自然と続いていくと思うし、自分は実際はひとりではないはずなのだけど、このままいけば孤独死するのかなぁ、と考えたりはする。

2015年の僕の1stアルバム
「舟はまた壊れる」のなかの

「遺伝子の夜」より
「燃えない恋ばかりが積み重なってゆく」

タイトル曲「舟はまた壊れる」より

「繋がりも愛も溢れているのに
頭の中からすべてが消えるのはなぜ」
「まぶしさに慣れる前に舟はまた壊れる」

ぜんぶ歌の通りになってしまっている。
歌というのは祈りであり呪いでもある。
わかってはいるけど、思っていた以上に強烈な効果があるらしい。

自分の人生も「舟はまた壊れる」という言葉を地で行く人生になってしまっている。そもそも、自分の双極性障害という完治することのない病気の特徴がこれまた「舟はまた壊れる」である。この曲を書いた当時は双極症の診断はまだついてなかったわけだけど。

自分はほんとうの意味で幸せになることはないのかもしれない。恒常的な意味での、生を心の底から100%肯定できる幸せ。

幸せを感じる瞬間、生きている歓びを感じる瞬間はありがたいことにわりといまは日常的にある。
それがあるだけ良かった、と思うし、それがあるから生きていられている。だけど、それはただの脳内物質の分泌でしかない感じもする。躁状態の勘違い。

不幸せを感じる瞬間、生きていたくなくなる瞬間もたくさんある。これもでもきっと、鬱状態の勘違いなんだとは思う。

生に虚しさを感じてはいない。
それは自分が恵まれたところだと思う。
ただいっぽうで、自分自身の存在や生きることを心から肯定することもできていない。

でも、舟を自らの手で沈めたくはない。
舟が壊れては直し壊れては直しを繰り返し、もしも寿命で死ねたら悔いは無いと思う。

「生きることが素晴らしいことだと
思える日まで歩いてゆこうよ」
(「生きてゆくための歌」より)

生きることが素晴らしいことだと思える日は、訪れないかもしれないけど、そこまで歩きつづけてゆければ、寿命まで生き延びられるのかもなという気持ちでもある。

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