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ありがとう東サラ

 たまたまフォルダにあったいまちょっとした界隈で話題の「東サラ×蛯名正義」。詳しくは日曜夜中のスペースにご参加ください。東サラを退会した。ずっと前々から辞めようと思っていたがたくさんの馬、たくさんの人との出会いがあったのでここに書き連ねる。

 僕と東サラの出会いは大学4年の夏。もともとシルクに入りたかった。アズールムーンだったかな?その馬体が好きでどうしても出資したかったが既に新規では取れないほどの人気だった。そこでどうしても一口馬主を体験したくて東サラの余っている馬で入会した。レッドオルティス(父ハーツクライ)という牝馬だった。音無厩舎×ハーツクライ×社台ファーム、思えば一口4万円の時点でやめておけば良かった笑 

 待ちに待ったデビュー戦は3歳の2月だった。北村友一騎手を背に京都芝1,800mを走った。タイムはまさかの2分超え。1頭だけ2,000mを走っていた()。毎回パドックでは眼を真っ赤にして寝不足。ダートでも全く走らなかった。Red Ortizと英語で書くが、よく見たらRedに土下座してるみたいに見えて悲しくなった時も少なくない。デビュー戦はみんなで観た。母親に昼ご飯を作ってもらい、普段よりも早めにご飯を食べて、実家の大きなテレビで観た。呆れてしまってレース後は爆笑していた。その後門別に移籍するも71戦0勝、獲得賞金48万円で正直南原より稼いでいないのはシンプルに面白さを通り越していた。

 どうせ真面目に馬選びをしても走らない、メジャー種牡馬産駒から選んでも走らない、そう思った時に開催されていたのがサッカーワールドカップであった。初戦でコロンビアと対戦。

「日本代表がコロンビア代表に勝ったら東サラのマイナー種牡馬産駒に出資します。絶対勝たないと思います。」

上がり32秒出せそうなツイートをした結果、開始2分でコロンビア代表のDFがペナルティエリア内で鮮やかなハンド。レッドカードで退場、日本代表PKで先制。その後フリーキックで追いつくも、半端ない大迫のヘディングがゴールネットを揺らす。その結果選ばれたのがリアルインパクト産駒のレッドシンシアだった。8戦0勝、獲得賞金2万円はさすがに舐め過ぎ。

 マイナー種牡馬産駒でもなす術なし。露頭に迷った南原はさらなる奇策に出る。

「正常な判断をしても良い馬は選べない。どうせならテキトーに異常な精神状態で選べばよいのでは?」

 研修医として働き始め、4ヶ月が経った頃だった。既に社台のオルフェーヴル牝馬への出資を決めていたため、全く寝れない当直明けにテキトーに選んでそのまま昼寝をして募集締め切りを迎えることにした。気が付いたらスピルバーグ産駒とノヴェリスト産駒の出資が確定していた。ノヴェリスト産駒はルージュパルファンといった名前だったが、走る香りは全くせず、化粧品売り場の匂いが渋滞する嫌な雰囲気のまま、中央競馬から佐賀競馬へ移籍したが59戦0勝だった。

 スピルバーグ産駒のルージュメサージュは本当に出会えて良かった。このあたりから斉藤崇史厩舎が好きになった。デビュー戦は中山の芝2000m。デムーロ騎手で4番人気3着に好走。その後は中京を走るも混合戦を選択し5着。ダートに転向し川田騎手でも勝てず。浦和の交流戦で矢野騎手を背に走るもやはり勝てず…。負けたらもうあとがない夏。重馬場で鮫島克駿騎手を起用。鮮やかに差し切る競馬で快勝。続く1勝クラスも湿った馬場で勝利。その後は勝てなかったけどコンスタントに2着、3着に来てくれて嬉しかった。でもたくさん頑張ってくれたから脚元をケガして引退した。繁殖牝馬として牧場に帰れたから良かった。本当にありがとう。

 その後は下河辺牧場のルーラーシップ産駒はなぜか走る、というのを小耳に挟み、レッドプロフェシーに出資。3勝クラスまで行ってくれたが、ここで僕の東サラ生活は終わりにしたい。引退前に退会してしまい申し訳ない。月会費を払っているが何年か前からカタログは来なくなったし、今話題の馬主バッジも届いていない。住所変更が遅れたことはあったにせよ、会費を取るならちゃんとやってもらいたい。

 最後にたくさんの東サラつながりが出来て本当に良かったし、東サラをある意味テキトーにやっている人たちは本当に良い人だらけ。Twitterでも楽しいし、実際お会いしても楽しかった。みなさまが東サラで少しでも活躍馬に出会えることに期待しています。レッドプロフェシーも怪我なく頑張ってね。

ありがとう東サラ。

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