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yeyeのリマインドについて


 小学生の時から多種多様な音楽を聴いてきたけど、歌詞をちゃんと聴くようになったのは大学生の頃からだった。
 それまで、歌(歌詞)は、あくまでも語感の軽快さだったり、声質の良さだったり、ギターとかドラムとか楽器の一部でしかない思っていた。
 でも、大学生の時に、しがないアコギサークルに入り、先輩達が歌詞に自分の想いを込めて歌う姿を見て、あぁ歌詞って自分を投影できて、意味あるものなんだと思った。
 なので、それ以降、歌詞を意識的に聴くようになり、あぁこれ俺のことやん・・・みたいな曲を探しているのだけど、慣れないせいかカロリーを使う。
 そんな中で、今年一年聴いてきた歌の中で、うあぁこれ・・・沁みるという曲の歌詞を勝手にレビューしたいと思う

うあぁこれ・・・沁みるという曲がこれ


『リマインド』 作詞・作曲:YeYe

忘れたい人も いるのでしょうね
感覚を頼って ピントをずらす
生きれば生きるほど なぜか孤独になって
人の顔色はどれも無意味と知る
この人生にさからったところで 矛盾しかないのだから
だけどだけど考えてみれば ただ息が巡っているだけ
今日という日に何かを生み出さないでいいから
欲をだせばすべてが遠ざかり 「わたしはここにいる」を守って
あとはその何かが身体を通るだけ
きれいなものがいいだとか
整ったものがいいだとか だ
からなんですか はい、で片付ける勇気はあるか
今日という日に何かを生み出さないでいいから
「欲」をだせばすべてが遠ざかり 「わたしはここにいる」を守って
あとはその何かが身体を通るだけ

以下、歌詞について感じたことを・・・

 そもそも、この曲を勝手に主観で解釈すると、「人生の生き方を間違えないように”リマインド”する」という曲で、あくまでもyeyeさん自身に向けた警告のようなものだと思っている。日々過ごす中で、これだけ守ってけみたいな。自分へのダメージを減らす上でやってけよ?みたいな。
 そして、その警告は僕にも効くという話。
 以下、各小節毎に感じたことをまとめる。

"忘れたい人も いるのでしょうね"
"感覚を頼って ピントをずらす"

 若干、他人事なんですよね。客観視しているというか。自分事にしたくない気持ちがあって、俯瞰して物事を視ることは一種の逃避だと思う。俯瞰で自分を見ていて、忘れたい人もいるよね~と自分に問いかけている感じ。若干、冒頭から自分へのダメージを減らすテクが入ってる。
 僕は、今まで出会ってきた人の中で、あまり忘れたい人もいなくて、基本的には一期一会ハッピーだと思っている。ただ、日々過ごす上で、嫌な人だったり、苦手な人がいたりするわけ。そういう時に、僕は今までの薄い人生経験を基に、自分へのダメージを如何に減らすかという観点で、その人を見えなくする、解像度を曖昧にする、ピントをずらすということをやってきたと思う。繰り返しなるけど、それは自分へのダメージを減らすテク。わかる。

"生きれば生きるほど なぜか孤独になって"
"人の顔色はどれも無意味と知る"
 
関係性が密になることで、より一層自分の孤独感が増す。年齢を重ねるごとにかなり理解できる。他人と親密になればなるほど、自分は自分というか、価値観の違いだったり、考え方の違いが明確になるわけです。その違いを認識することで、あぁやっぱり自分は一人だなと感じる。そうであれば、他人の顔色を伺うことで親密になったところで無意味だし、明白なんですよ。僕は、結構それ悲しいなて思っちゃうんですよね。

"この人生にさからったところで 矛盾しかないのだから"
"だけどだけど考えてみれば ただ息が巡っているだけ
"
 より良い人生とか、上手な生き方とか、そういう教本じみた言説がSNSとか自己啓発本には書いてあるけど、全くもって無意味。そこには、なに一つ確実なことなんて書いていない。何か一つの偶発的な事象で人生は180度変わるわけですよね。どんだけ上手く、節度を持って、丁寧に生きたとしても、石に躓いて傷口から破傷風が発生して、どうしようもなくなることだってある。上手い生き方を熱心に順守しても無意味。
 確かなことは、地に足立って息をしていること。
 それだけが唯一、確かなこと。

"今日という日に何かを生み出さないでいいから"
"欲をだせばすべてが遠ざかり 「わたしはここにいる」を守って"
"あとはその何かが身体を通るだけ
"
 この節は無常観を感じるなぁ。ゆく河の流れ絶えずして~という感じ。あまりにも悟ってしまっているなぁと思うのだけど、この曲が自分にとっての戒め・アラート・リマインドだから、この歌詞を最も強調されるべきサビに持ってきたのかなと思う。
 無理に動かないというか、動くことによって自分のLPが減ることがある。欲をかくこととか。
 久々、旧友と昔を懐かしみたいなと思って飲み会の企画をしたけど、みんなどうでもいい仕事の話しかしないから、「何でこんな会を開いたのだろうか・・・」とか、我に返って勝手に傷付いちゃう。そういう空虚な擦り傷だったり、偶に致死の傷を負ったりで、欲をかいて能動的な行動することは大体傷つくことが多い。
 ただ、別に能動的に動くな、とは言っていなくて、自然体というか、ゆく河に身を預けて流れるままに・・・動けば?という感じがする。これも歳を重ねるごとに分かりつつある。

きれいなものがいいだとか"
"整ったものがいいだとか"
"だからなんですか"
"はい、で片付ける勇気はあるか
"
 ここだけ、yeyeさんの生の声っていう感じがする。
 それまでの歌詞は、一回飲み込んで咀嚼して吐き出したような歌詞だけど、ここだけは混じりっ気のない純度100%の歌詞という感じがする。
 僕も、世間のきれいなものに対する評価の高さに懐疑的だったりする。ただ、僕はまぁルッキズムなんで、奇麗な人や可愛い人が無条件で好きなんだけど、一方で、容姿の良さで無条件に好意を持つことへの浅薄さや虚しさを感じる。
 きれいなものとか、整ったものは美しいんですよ。恥ずかし気もなく、美しさ感じて、見惚れる自分が嫌になる。そんな価値観を否定したい。否定したら人間として高潔だろうなと思う。ただ、その価値観に対してNOと言えない葛藤に悩む。

"今日という日に何かを生み出さないでいいから"
"「欲」をだせばすべてが遠ざかり 「わたしはここにいる」を守って"
"あとはその何かが身体を通るだけ"
前述
やっぱり、ここが一番伝えたいところだとすると、僕の無常観と合います。

結び

 以上がリマインドという曲に感じたこと。この曲を、人生の教訓とか、そういう陳腐な言葉で片づけたくなくて、あくまでも「こういうことあるよね」という感じで留めている。何かに憧れを抱くことや、妄信的になることは、いずれ自分へのダメージになると思っているので、それくらいの立ち位置がちょうどいい。
 この曲を28~29歳にかけて聴けたのは貴重だったと思う。ちょうど人生とか、生き方どうっすかな~と悩んでいたところなので、僕の琴線に触れたのだと思う。これを中学生の時に聴いても、なんだこれ?となるだろうし。
 結局、この曲を聴いて、真に自分が何を感じて、何が刺さったのか、よく分からない。よく分からないけど、「歌詞を聴く」という音楽の聴き方をし始めてから、ここまで長文の感想を書きたくなったことはこれが初めてだったし、これが、うあぁ・・・これ沁みるわ・・という曲なんだと気づいた。みんなも聴いてみてちょ。

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