思春期とエッチな本

ご機嫌いかがでしょうか?
videobrother代表の山田でございます。

日本中が大変でございますね。
国民総ピンチ。
そんな中、皆様が穏やかにお過ごしであればと我々videoは願っております。


さて。
コロナの渦中、多くのアーティストが様々な目的で何かしらの表現をメカを駆使して発信をはじめた。
不謹慎ではあるが「世の中はこんな感じで変わっていくのだなぁ」と感じる。


私も久々にお話を書いてみることにいたしました。
以前は割と定期的に日々起こった事や昔の思い出などをしたためていたのだが生来怠け者である為、すっかり筆が遠くなった。
気持ちと時間に余裕のある方のみ、私のトンチンカンなお話にお付き合いいただければ幸いです。


今回は学生時代の切ない思い出を書くことにする。

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私の出身は新潟。
それはそれはとんでもない田舎であり、信号も街灯もほとんどないようなエキセントリックな環境である。
セブンイレブンが隣町にできた際には村民の行列ができた程だ。


ご存知の方も多いと思うが田舎に住む人々の人生のスピードは早く、中学生ともなれば皆豊かな男女交際を繰り広げては次々とサクセスしていく。

中には男子教師とのホニャララを経て懐妊し、学校にツバを吐いて退学した荒くれ者もいるほどだ。


しかしながら、学校カーストの最下層に属していた私は女性とお付き合いする事はおろか、女子と1日に何回会話できるかをカウントするような貧しい生活を送っていた。
時には女性の先生との会話までカウントに入れて精神の安定を図るほどだ。


そんな山田少年の当時の楽しみといえば、隣の隣の隣のずーっと離れた町の本屋さんにエッチな本を買いに行くことだった。


私は元々エッチな本を近所で買うようなタフガイではなかったが、近所で買えないのには別の理由もあった。
それは私の実家は何百年も続く神社であり、その神官である父は地域の顔だったからだ。


年に何度か実家の神社で催されるお祭りの集客が近隣村々の経済の一端を担っていると言ってもそこまで過言ではない。


その息子がリビドーのままに近所の本屋さんでエッチな本を買っていることが何かの拍子でバレたら神社の恥。
そして性格の悪いあの本屋の主人は私の父に息子の性癖を告げ口するに決まっている。


本屋の主人め。


実家から遠く離れた本屋さんには原付きで行っていた。
その本屋さんは店主がいい感じに老いており、どことなくハリーポッターのダンブルドアに似ていた。


ダンブルドアはどう見ても学生の私に親切にもエッチな本を売ってくれた。
エロホグワーツには私と同じような熱心な学徒が溢れ、皆一様にその知識欲を満たしていた。


ただ、息子の知識欲とは裏腹に過保護な両親は可愛い息子がバイクのような野蛮な乗り物を運転する事に常々反対していた。
両親は我が子に鉄の塊を運転できる知性を搭載させていなかったからだ。

事件は夏に起こった。
その日も一生懸命貯めたお金をポッケに入れ、鼻をパンパンに膨らませて遠くの本屋さんに向かった。

通常時においては1度に2冊買うエッチな本。
ただその日のラインナップは私の琴線を直撃したため、4冊買った。

エロホグワーツの品揃えはいつも秀逸だ。
ダンブルドアはいつもより沢山エッチな本を買う私に優しく笑いかけ、濃い緑色のビニール袋2枚に2冊づつ分けて入れてくれた。
はやる気持ちを抑え、私は極めて紳士的にしゃなりしゃなりと店をあとにして原付きに乗る。



エロスで満たされた原付きのメットイン。

高鳴るハート。

握るアクセル。

MDからは山下達郎の「RIDE ON TIME」 https://www.youtube.com/watch?v=hVncHR3ms0Q

変形する顔面。



時刻は19時ごろ。
辺りはすっかり暗くなっている。

岐路を急ぐ私は割と大きい交差点において、右折しようと車の切れ目を待っていた。


大きなトラックの通過後、私が右折を開始するとトラックの死角にいた無点灯の車に私は車にはねられたのだ。


のちに警察の方に伺ったのだが、目撃者の話によると
「(私は)きれいに空中を回って地面に落ちた」
そうである。


車にはねられた直後だというのに不思議と痛みはない。
気絶する直前の記憶はアスファルトの上。
うつ伏せに地面に転がり、私をはねたであろう車のタイヤが見えた。
そしてすっと気を失った。


目が覚めたのは脳味噌関係の大きな病院。
両親が心配そうにこちらを見ている。
呼吸器を装着していたので事故の大きさを自覚する事ができた。
両親が私に何を話しかけているのだが、よく聞こえなかった。


息子が生きていた事に泣いて喜ぶ優しい母。
私の手を握り喜ぶ父。
私を心配して病院に来てくれたお手伝いのおばあちゃん達。
病室に集まってくれた人々は皆本当に私の覚醒を喜び、泣いている。



私は思った。



( エロ本、どうなったかな・・・ )


気絶から覚醒した息子の第一声がエロ本の所在確認であったなら、私はきっと多くのものを失う。
ここは慎重に行かなければならない。


私が事故にあえば救急隊や警察が私の身元を確認しようとするはずだ。
当時の身分証は原付きの免許のみ。
事故にあった際、運転免許は原付きのメットインの中、エロ本の下にある。


事故にあった少年の身元を確認しようとしている大人はきっと免許より先にエロ本を発見するはずだ。
事故にあった時点で救急隊員には「神社の息子がエロ本を買った帰りに事故にあった」事がバレている。
既に地獄である。


私は呼吸器をつけたまま、救急隊員の子供に私の学友がいない事を強く祈った。
もう祈るしか無い。


ただ、最も大事なのは親にバレないこと。
この文章をお読みの諸兄らにもご理解いただけている事と思うが、エロ本は母に見つかることが最も恥ずかしいのだ。
これだけは死守しなければならない。


覚醒して数日。
病院を転院を2回ほどしていた。
それほど大きな事故だったのだ。


両親が私のエロ本の事を知ってしまったかどうかをなんとなく探りを入れる為、バイクがどうなったのかを母に確認する。
母曰く、バイクは前輪が大きく曲がったものの自立できる状態ではあった為、自宅の車庫に格納されているとのこと。


メットインの中身が気になるものの、中身の話をするのは危険だ。
もしバレていなかった場合、私がメットインの中身を気にしていたら親切な母はメットインを開けて中身を確認するからだ。
不安の中、日々は過ぎていった。


事故から1ヶ月ほどで自宅に帰れることになった。
1ヶ月の間、自身の怪我の回復よりもエロ本の無事を祈る事にすっかり疲弊してしまった為、私はさながら戦地からの復員兵のようにやつれていた。


父の運転する車で自宅に戻ると私はバキバキに骨折した左足を引きずり、松葉杖でバイクが格納されている車庫に向かった。


8月昼下がり。
醤油の饐えたような生活臭が漂う台所の裏をズルズルと抜け、ブルーシートで覆われた車庫に向かう。
蝉がけたたましく鳴き、性格の悪そうな積乱雲がオレンジ色の太陽を受けている。


原付きは車庫の入り口にあった。
塗装はバキバキに剥がれており、母の言ったように自立はしているものの前輪が大きく曲がっている。


原付きに付けっぱなしだった鍵を回し、メットインを開ける。
しかし、エロ本はそこには無かった。


救急隊員が持ち去ったのか・・・?
いや、そんなはずはない・・・
どこに行ったんだ・・・
エロ本が見れなくなった悲しみ、そして誰かに回収されたのでは?という不安感で私は気が遠くなった。


途方に暮れながらまたズルズルと自宅に戻り、母がいる台所を経由し自室に戻る途中。

母は私の松葉杖の音に気がついている様子だったが、流しからこちらを振り返らなかった。

こちらを振り返らぬ母の背中はデニーロの背中のように雄弁に何か語っているようだった。


階段を這いつくばりながら2階にある自室に入ると、いつもの自室の風景の中に違和感があった。


見覚えのある緑色の袋、そしてその中身である4冊の分厚いエロ本が私の勉強机の上でいびつな存在感を放っていた。


母が背中で語っていたのはこの有様の事だったのだ。

それ以降私は原付きに乗らなくなり、ホグワーツに通うのをやめた。

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30歳を過ぎて新潟に帰省した際、あの思い出の本屋さんの前をたまたま通りかかった。
その店はまだ辛うじて存在していたが、ダンブルドアはいなかった。

ダンブルドアはいなかったが当時と変わらず店内には鼻をパンパンにした学生達が溢れていた。


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