新入生レビュー 第一夜:『精霊の木』

こんにちは、京都大学SF・幻想文学研究会(KUSFA)です。
今年のKUSFAはコロナの影響で対面での活動ができず、すべてがオンライン進行です。

新入生の勧誘もオンラインで読書会や座談会を行っていました。
読書会の題材は佐藤哲也「夏の軍隊」、宮内悠介『盤上の夜』、N・ホーソーン「ウェイクフィールド」、伴名練『なめらかな世界と、その敵』、久生十蘭「黄泉から」、伊藤計劃『ハーモニー』など……新歓にかこつけて会員が好きな本の話をしたいだけのラインナップのようにも見えますが、勧誘の甲斐あって5人の新入生が入ってくれました。

今日から5日連続で、新入生のひとりひとりが自分の好きなコンテンツについて書いた「新入生レビュー」を公開します!

第一夜は野葛日景による、上橋菜穂子『精霊の木』の紹介です。


上橋菜穂子 『精霊の木』

僕は臆病だし、面倒くさがりなので、ついこれまで安住していた世界の内側に閉じこもっていたくなってしまう。僕ほどの無精者でなくても、大抵の人間は自分の生活している世界の外側を知ることがないし、そうした限られた価値観、規範のなかで世界を知った気になったまま死んでいく。「正義」もそのなかで振りかざされる。

さて、本著『精霊の木』は上橋菜穂子の三十年前のデビュー作である。僕が偉そうに言えることではないが、デビュー作というのはそれ以降の作品に比べてやや粗削りな面もあるかもしれないが、だからこそその作家の書きたいことや性格がありありとかつ貪欲に書かれている。ある編集者に「プロの作家なら、この物語につまっているアイデアで、数冊の本が書けますよ」と言われた(「新版あとがき」より)ほど、この作品には上橋の後の作品の種子のようなものがこれでもかというほど詰まっている。

上橋菜穂子は、世界の境界を描き、そこに生きる人の強さを描く。

僕たちが壁の内側に閉じこもってしまうのに対し、彼女の作品の登場人物たちはそうした一つ所に留まってはいられず、壁の外側、世界の境界に生きることを強いられる。野火や小夜(『鼓笛のかなた』)、リシア(『精霊の木』)、チャグム(『精霊の守り人』)、ヴァン(『鹿の王』)、エリン(『獣の奏者』)など、彼らはみな、そういった宿命を(文字通り)自身の内に宿し、それまで安穏と過ごしていた世界から放り出される。その中で人と出会い、支えられ、時には誰かを支えながら成長していく。

その宿命の形として、彼らは精霊を宿したり、人間以外の生物と同化したり、あるいは「壁」の外の人々の血を受け継いでいたりする。そんな彼らは二つの世界の懸け橋となる存在である。上橋の主人公はこうした境界の存在としての生き方を引き受けるか、あるいはそのような境界に生きる存在と出逢い、自ら境界を越えることを積極的に決意する。それまで生きていた世界の外側で彼らは正義というものの相対性を知り、世界の絶対的な正しさが崩れて、自らの真実を、つまり自分は何者で、何をなすべきかということの答えを探していかねばならない。それは秩序に収まれという世界からの要求と対立することになる。だからほとんどいつも「世界」の側に追われ、「世界」を相手に闘う(作品中では二つの世界を行き来する描写や、境界の世界の存在が重要な役割を演じている)。

『精霊の木』のリシアもまたその一人である。彼女が暮らすナイラ星が移住二百周年を迎える中、人類の植民時代に滅び歴史に葬られたはずの先住異星人〈黄昏の民〉の力がリシアの中に目覚める。彼らはもともとは緑豊かな〈母の国〉で生活していた異星人であった。彼ら曰く、「人は半かけの魂を持って生まれてくる」が、一定の年齢に達すると〈精霊の木〉より生まれる精霊をその身に宿すことにより完全な生を体得する。また彼らの中には〈時の夢見師〉と呼ばれる過去を夢に見る力を持つ語り部が存在する。その力がリシアにも目覚め、夢を通して自分が黄昏の民の末裔、それも時の夢見師であることを知る。
そのころナイラ星に突如として光の空間が出現し、祖先の黄昏の民が失われた精霊の木を求めてやって来る(黄昏の民は十年に一度、〈母の国〉と〈新しき国〉(ナイラ星のこと)を結ぶ〈精霊の道〉を渡せるのだが、この二つの世界では時の流れが違うので、ナイラにおける九百五十七年に相当する)のだが、黄昏の民の存在を抹消すると同時にリシアの力を利用したい環境調整局(政府)がリシアの確保に乗り出し、リシアと従兄で幼馴染のシンとの逃走劇が始まる。

こうして黄昏の民の末裔であるという宿命を背負わされた二人は、それまで何一つ疑うことなく暮らしていた世界の外にはじき出される。地球人としてのもとの生活を愛しながらも、夢見の力を通して祖先である黄昏の民の伝えてきた思いを知る。その狭間で二人は自分たちは何者であるのか、何をなすべきかの答えを探す。だからこの話は、彼らの世界からの脱却(追放)であると同時に、自己の探求の物語でもある。

世界の外側を知り、二つの世界の間で迷い、おののき、葛藤しながらその中でもがいて生き延びた彼らは、強い。その目は環境調整局の役人のような、一方の立場から力を振るう人らに比べて、一段深いところを見ている。彼らがそれまで感じていた生きることへのむなしさなども、その過程でなんども自問しながら乗り越える。こうして彼らが世界の「外」を見ることで獲得した強さは、ある限られた価値観のなかで「正義」を振りかざす強さに比べ、真の強さという感じがする。僕はその「強さ」に惹かれる。彼らに見えているものを知りたいと思う。「どちらか一方の側から見ただけでは、見えない景色があるのです。境界線の上に立つ人は、それを見ているのだと思います。だからとても孤独だし、人から理解してもらえないこともあると思います。結論めいたことを言うこともできずに、それでもじっと考え続け、沈黙しているかもしれません。」(『物語ること、生きること』より)
上橋作品の主人公は正義の味方などではない。むしろ、それぞれ対立しあう「正義」の狭間に立って、その世界をじっと見つめている、そんな人である。

〈著者紹介 上橋菜穂子〉
川村学園女子大学特任教授、オーストラリアの先住民アボリジニを研究。
本著『精霊の木』で作家デビュー。著書は『狐笛のかなた』(野間児童文芸賞)『精霊の守り人』(野間児童文芸新人賞、産経児童出版文化賞、バチュルダー賞)『獣の奏者』『鹿の王』(本屋大賞、日本医療小説大賞)など。2014年国際アンデルセン賞受賞。


京都SFフェスティバル(京フェス)開催のお知らせ

京都SFフェスティバル(京フェス)は毎年、秋に京都で行っているSFコンベンションです。
が、2020年度の京フェスは、状況を鑑み、京都ではなくオンラインで開催することになりました。

開催日程は
9月19日(土) 18:00~24:00
で、ZoomとDiscordを併用して行います。参加費は無料です。

SFファンやクリエイターが自分の話したい題材を企画として持ち込み、オンラインで開室したところに、その題材に興味がある人が訪ねてアクセスする、という形式です。

今のところ、こんな企画案が上がっています。
http://kyofes.kusfa.jp/cgi-bin/Kyo_fes/wiki.cgi?page=%B3%AB%BA%C5%B3%B5%CD%D7

興味のある方はぜひ、こちらの参加登録フォームから登録をお願いします。自動返信でDiscordへの招待リンクをお送りします。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScid3YTWz3Zjzu9g7npxMsuIBscuZ__DaRYnpCfW8pDaEM7aA/viewform

企画を新たに持ち込みたい!という方は、こちらから申し込みをお願いします。
http://kyofes.kusfa.jp/cgi-bin/Kyo_fes/wiki.cgi?page=%B4%EB%B2%E8%BB%FD%A4%C1%B9%FE%A4%DF
趣味のあう仲間を見つけるチャンスですよ!

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