銀行業務検定でこんなことしてました
私は金融機関に勤めて10年余り。
同業種の方なら分かると思うが、我が業界には銀行業務検定というものがある。
検定試験合格が、昇格要件に組み込まれていたりする。
上司を通して会社で申込みを行う。
今回私は財務2級に申し込んだ。
2級レベルとなると○×問題や選択問題ではなく記述が主なので、勘や一夜漬けで合格することはできない。
財務諸表に関する各種指標を計算して求めたり、その分析結果を文章で記す。
前回の同試験の合格率は2割ちょっとだ。
わたしは合格するために一生懸命勉強した。
試験に落ちるのは痛い。
試験は日曜日の午後だった。
試験前日、土曜日の夜、持ち物を確認した。
試験では、ボールペンではなく、鉛筆またはシャープペンシルを使用しなければならない。
一人暮らしと言えど、筆記用具ぐらいある。
鉛筆3本とシャーペン2本、そして消しゴム、確かにある。
ただ、よく見ると鉛筆は全3本芯がちびていた。鉛筆削りはない。
シャーペンは2本あるが、替え芯はない。
各シャーペンの中に残っているシャー芯の長さを確認したが、記述式の試験を乗り切るには心許ない長さだった。
明日試験会場に行く道中、文房具を買い足すことにした。
試験当日。
予定通り午前に最終の追い込みをした。
昼食にレトルトカレーを食べながら、どの文房具を買うかを考えていた。
と言うのも、今回の試験を切り抜けることだけを考えれば何を買ってもいいのだが、私はできるだけ無駄なものを購入したくはなかった。
シャー芯を買うことでこの試験は切り抜けられるが、一般的にシャー芯は最低でも50本ぐらいの単位で販売されている。
今回2本使ったとして、残りの48本を今世で使い切る自信がない。
鉛筆を買ってもいいが、既に保有している3本は小学校時代から保有しているもの。
この3本ですらも今世で使い切る自信がないのに、さらに新しい鉛筆を買うことなどできない。
できるだけ資源を無駄にしない形で、試験を乗り切る最小限の文房具を買おう。
バスの時刻を意識しながら、早めに家を出て近所の大型スーパーに寄る。
そして私は考えた末に小さい鉛筆削りを買った。
消しゴムぐらいの大きさの鉛筆削りは、筆箱にも入るサイズ。今後も使えるものだし、無駄な買い物ではない。
いい判断だった。
これで試験に臨める。
試験で記述するための武器を揃えた私は、心に余裕が戻ってきた。
試験会場の短大へバスで向かう。
バスを降りてから会場まで徒歩8分の道のりを歩きながら、私は「逃げるが恥だが役に立つ」のヒロイン、ガッキー演じる森山みくりと同じように、脳内で情熱大陸の取材を受けていた。
♪〜葉加瀬太郎〜♪
ナレーション「6月某日。彼女は試験会場に向かっていた。」
私「え?緊張ですか?いや、この手の試験はもう10?いや、20回近く受けてますからね。別に緊張とかはないですよ。いつも通りです。」
ナレーション「彼女は一瞬微笑みながら受け答えるも、すぐに凛とした表情に戻り、試験会場の教室へと向かった。」
♪〜葉加瀬太郎フェイドアウト〜♪
全編カットされるであろう中身スカスカの情熱大陸の取材を終え、私は教室に入った。
入室時間ぴったりだった。完璧なスケジューリング。
まもなくして回答用紙が配られた。その時私はあることに気づいた。
電卓がない。
ギリギリまで、家で勉強して使っていたからだ。
あるいは、レトルトカレーを食べる直前、湯せんしている時まで電卓を使っていたからだ。
あるいは、鉛筆とシャーペンに気をとられていたからだ。
もう試験が始まる。開始時刻は迫っている。
試験会場最寄りのコンビニは徒歩8分。
行って帰って約20分。
そしてそのコンビニに行ったとして、電卓が売られているかは分からない。
梅雨の蒸し暑い日だった。
時間と体力を使ってまで、コンビニに行くべきか。
私は決意した。
筆算でいこう。
試験開始の合図。
今回の試験は、自己資本比率や、流動比率、労働生産性など、計算する問題が多い。
それらは、小数点第2位以下を四捨五入せよ、と言う指示だった。
私は必死の筆算でそれらを求めた。
4桁や5桁の割り算。
算盤はできないが、割り算の筆算を忘れていなかった自分をまずは褒めたい。
2680の中に516は何個入るだろうか。
13770の中に4171が何個入るだろうか。
そんなことを繰り返し考えながら、小数点第2位まで計算する。
何問も解くうちに、だんだん自分が「筆算のゾーン」に入っていくのが分かった。
小数点以下第2位が出る前に、これは四捨なのか、はたまた五入なのか、分かるようになってきた。
小数点第2位手前で、これは捨てる。
これは切り上げる。
これは捨て。
これは切り上げ。
捨て、切り上げ、切り上げ、捨て。
判断が早くなってきた。
小数点第2位のゾーン。
方向音痴で空間認識能力に欠ける私だが、今回ばかりは俯瞰で物事を捉えてしまう。
周りでは電卓を叩く音が響く中、「私、今何やってんねやろ。」と雑念が襲いかかる。
それでも私は筆算をやめない。
世の中には稀にイーグルアイ(鷲の目)という特殊能力を持つ人がおり、どこにいても俯瞰で真上からの画が見えるらしい。
イーグルアイがあれば、サッカーやバスケなどではコート全体の動きが把握できるらしい。
イーグルアイなんて知らなかったし全然いらないけど、私の中になかったはずのイーグルアイが30分に1度発動する。
後ろの受験生を見なくても分かる。
全員電卓を叩いている。
見なくても見える。
それでもなお、私は筆算をやめない。
計算問題だけではなく、文書記述問題にも答えた。
3時間の試験、途中退室はできるが、時間ギリギリまで残った。
試験終了。
何とか全問解答はした。
全力は尽くした。
ふと見ると、3時間前に削ったばかりの鉛筆はすっかりちびていた。
鉛筆削りを買っておいてよかった。そうでなければ、最後まで書くことができなかっただろう。
時間もいっぱいいっぱいだった。
コンビニに電卓を買いに行っていたら、時間が足りずに全問解答できなかっただろう。
私の判断は正しかった。
いや、本当にそうだろうか。
普通なら電卓で5秒で出る答えを、筆算で求めるのに2〜3分費やした。何問も何問も。
電卓さえあれば、こんなに時間ギリギリまでかからず、スマートに途中退室できたのではないか。
問題用紙の余白いっぱいに筆算を書いた。
電卓さえあれば、こんなに鉛筆はちびなかったのではないか。
結局、鉛筆と時間、すべての資源をいっぱいいっぱい使った。
そもそも、鉛筆削りを買うときに、なぜ電卓のことに気づかなかったのだろうか。
何より、情熱大陸の取材を受けている暇があるのなら、なぜ電卓のことに気づかなかったのだろうか。
全国6000人の受験者の中で、私と同じように筆算で3時間闘ったという人を探し出して、お互い合格していた暁には、対談番組をしたい。
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さて、次回の #クセスゴエッセイ は
「バスの運転手さんに穀物の名前を呟いてしまう」
をお届けします
お楽しみに〜
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