ガヨウ神殿堂から見るニヒリズム
神は死んだ
注:この記事はネタ記事です。
「神は死んだ」とはドイツの哲学者ニーチェの言葉で、「キリスト教の信仰は信ずるに値しない」「絶対的な視点は存在しない」という意味です。
この記事では、ニーチェの思想からデュエル・マスターズについて考えていこうと思います。
目次
1 ニーチェの思想
2 ニヒリズムとDMP
3 永劫回帰とジョラゴンループ
4 まとめ&おまけ
1 ニーチェの思想
当時のヨーロッパ社会では科学技術の発展によって既存の道徳に対して批判が現れるようになっていました。そこでニーチェはキリスト教の信仰を否定し、新たな価値観が必要だという考えを持つようになりました。
神の死んだ意味も目的もない世界で生きていくことを受け入れるこのニーチェの思想はニヒリズムと呼ばれます。そして神のいない暗闇のなかでは自らを創造的に展開していく超人になることが必要であるとニーチェは言いました。
また、ニーチェは「永劫回帰」の説を唱えました。「永劫回帰」とは最後の審判を否定し、世界に意味はなく、そして何度も繰り返されるという思想です。また永劫回帰はすべての存在に意味がないとするため、ニヒリズムの極致であるともされます。
2 ニヒリズムとDMP
ようやくですが本題に入ります。
実はこのニーチェのニヒリズム思想は我々DMPに大事なことを教えてくれているのです。
「神は死んだ」これをデュエル・マスターズに当てはめて翻訳すると以下のようになります。
「(ガヨウ)神が死んだ世界ではそれを受け入れて生きていくしかなく、超人(リペアを自らの手で組むことの出来るプレイヤー)になることが必要である。」
(ガヨウ)神が生きていた時代では手軽にひたすらにスロットを回し続けるパチンカスにも、ガチャを回しまくる課金兵にも、ポクチンちん(意味深)を出し入れする性豪にもなることが出来ましたが、今では困難と言わざるを得ません。そこで我々には神のいない世界を受け入れて剣を振り回すなりして超人になることが求められるのです。
何?こいつが(ガヨウ)神の代わりだって?
こんなのが神なわけないです。マジで。こいつなんて偽りの神です。偽神様です。オルゴ・デミーラみたいなもんです。強いカードですけど(ガヨウ)神の代わりになれるカードではないです。そもそも6分の1だしジョラゴンで手札に戻らないしそもそも1枚捨てないとドロー出来な(以下略)
3 永劫回帰とジョラゴンループ
確かにニーチェはリペアを自分で組むことの出来る超人になるべきだと語りました。しかしその一方でジョラゴンループはまだ可能であるとも言っています。以下がその根拠です。
先述の通り、ニーチェが唱えた「永劫回帰」とは最後の審判を否定し、世界に意味はなく、そして何度も繰り返されるという思想です。これをデュエルマスターズに当てはめて翻訳するとこのようになります。
「最後の審判(殿堂発表)なんてない。ガヨウ神が死んでも世界は何度も繰り返す(ジョラゴンループ)。山を1にするのとか色々と面倒だけどガヨウ神が1枚でもループは出来る。」
リペアを自力で組むことも大切だが、それと平行してソード1ガヨウ1とかジョラゴン3のループといったプレイングやテクニックも覚えるべきだとニーチェは我々に教えてくれているのです。
追記:ガヨウを使わないループも発見されましたね。ちゃんとCSで握るときには覚えておきましょう。(パーリのプロモとポクチンを見間違えた前科のある僕が言うのもなんですけど)
4 まとめ&おまけ
このように、ニーチェは我々DMPにとって大切なことを教えてくれているのです。これはジョラゴンジョーカーズに限った話ではなく、殿堂で弱体化したデッキ全てに当てはまることだと思います。自分でリペアを考え抜き、それと平行して既存のプレイングやテクニックについても学ぶことが我々DMPにとって大切なのです。
(実際ポクチンや7777777を打って減った手札を回復できなかったり山を掘りにくかったりでガヨウないのってとんでもなく致命傷ですけど)
おまけ
ガチで存在を消された神
ガチで存在を消された神その2(別ゲーム)
一度死んでから頑張って蘇ったのに居場所がなくなっていた神
本当に終わり
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