友人Tのこと

学生時代のゲーセン仲間にTという奴がいた。

Tはわしが言うのもの何だが勉強の方はさっぱりで、小太りでだんご鼻、運動もからきし、家は貧乏でいつもボロボロの自転車に乗っていた。
この自転車、ブレーキが壊れておりいつまでも修理しないで放置しているものだから停車する時は足で地面を擦って減速しなければならないのだ。
だからTの履いている靴ははいつも靴底の裏に穴が空いていた。

そんなTだが性格は人懐っこく、読書家でもあり意外なところで博識でもあった。わしはいつも4、5人でゲーセンに出向いていたがTもその中の一人であった。

その日わしらはいつものごとく繁華街のゲーセンに出向いてお気に入りのゲームを遊ぼうとしたのであるが、見るとリーマン風の男が3人ほど筐体前の椅子に座り談笑している。
言うまでも無くゲームしないのに椅子を占拠する事はマナー違反である。

皆ただのゲームオタク、腕っぷしや度胸に自信のある者などいない。だがこういう時、声を掛けるのは大低わしだ。全く根拠は無いが、ずる賢く立ち回る自信の様なものはあった。

「ちょっとそれ遊びたいんで、席空けてもらえませんか」となるべく丁寧に声をかけた。
盛り上がっている所に水を差されたリーマン達は「はぁ?」みたいな反応と共に酒の匂い。わしは瞬時にそいつらが酔っ払っている事を察知して
「あー、もういいっすわ。」と言葉を残して立ち去ろうとした。
後で店員に報告して、追っ払ってもらうつもりだった。

だが次の瞬間、Tが横から意外な言葉を口にした。
「いや、僕らそれ遊びたいんで。どいてもらえませんか」と。

わしは混乱した。酔っ払い相手に正論など通じるはずがない。
何を言い出すねんこいつは、と。
予想通りというかリーマン達は激高し、Tにつかみ掛った。
元より1対3では勝ち目などないのだが、Tは一切反撃せずひたすら防御に徹しているようであった。時折「そっちが悪いんやろうが!」みたいな怒号を吐きながら。

喧嘩などとは無縁の人生を送ってきたわしを含む残りの仲間3人は、情けない話だが立ち尽くす事しかできなかった。
その内、リーマンの一人が「お前らも仲間か!」みたいな事言いながらこちらにやってきて殴りかかってきた。
幸い泥酔しているらしく足取りも怪しかった為、こちらが怪我をする様な事は無かったのであるがその瞬間、そこまでじっと耐えていたTが初めて自分から反撃を試みた。
「そいつらは関係ないやろうが!」と叫んでそのリーマンにつかみ掛ったのである。
もう店内は大混乱。こういう時は店員が止めに入るべきなのであろうが、肝心の店員はいかにも頼りないジジイが一人きりで、アワアワしていた。

その内誰かが通報したか、パトカーのサイレンが近づいてきた。
ゲーセンはビルの一階だったのでわしらとTはすぐにビルを飛び出し、自転車で店を離れた。
混乱の中よく分からなかったが、リーマン達も逃げたのであろう。

ゲーセンに通って警察沙汰のトラブルに巻き込まれた事など後にも先にもこの一件のみである。パトカーのサイレンを背に聞きながら店から距離をおいて家に着くまで、皆無言であった。
他の連中が何を考えていたかは分からない。が、わしは何もできなかった自分への情けなさと、Tのとった不可解な行動への戸惑いを感じながらペダルをこいでいた。

別れ際、Tにはやっとのこと「助けられなくて、すまん」としか言えなかった。
「俺は体だけは丈夫やから、なんともない。俺が悪いんやし。」
腫らした顔でTは憮然と言った。

他の連中も気まずく思っていたのか、この日の事はそれ以降仲間内でも話題に挙がる事はなかった。もう皆とは会わなくなって久しいが、未だに忘れられない出来事である。

Tの正義感と生きる事への不器用さ、自身の苦い無力感と共に
ボロボロの自転車に乗ったTの姿を、今でもたまに思い出す。