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アリの集団

9月に入り、暑さもだいぶ和らいできましたね。いま道端に水引の花がポツポツと赤くなり始めているのを見かけて、あぁ水引ってこういう季節なんだっけ? と思いつつ、それではそろそろムラサキシキブの実も色がつき始めるのかしら? なんて思いながら歩いていました。

先日まで、いまプリン関係にある女性が、家庭内でゴタついていて「夫と別れることにしました」と言ったかと思えば、翌週には「私が嫌だったところを治してくれるっていうから、信じることにしました」と言っていました。

記憶が正しければ、その女性が離婚を口にしたのは2回目です。一度目は「考え直した方がいいよ」と、引き留めるようなことも言いましたが、二度目の今回は「そうまで思うなら、離婚しかないかもね」なんて思いつつ「離婚することになったら、もっと会いづらくなるだろうな」とも思っていました。

つくづく結婚てなんだろう? なんて思いつつ、特別にぼくの頭の中で、離婚について考えることもありません。

ただ、その女性との話を時々する、離婚ホヤホヤの元美術モデルの女性とLINEでやり取りしました。それで「小道さんは、奥さんとお子さんを絶対に手放さないイメージですよね」って言われました。

第三者から見て、そうだと思うのなら、もしかすると僕はそうなのかもしれません。ただ、改めて自問すると…「いやまぁ自分から手放すことはない気がしますが、捨てられる可能性はありますよね。でまぁ、捨てられたら、それはそれで良いかな」とも思うわけです。

だって、離婚したら、もう今みたいに仕事を続けなくてもいいんじゃないかな? とか。いま投資に回している資産だけ確保できれば、あとはもう妻に渡したら……まあ月々の養育費とかは必要にしても、そんなに働かなくてもよくなるかもなぁ…とか。それだけでも、人生が楽しくなるんじゃないか…とか。(←仕事が嫌いなわけじゃなく、仕事をしなくてもいいっていう状況を作りたいんです)。

「それに、離婚したら◯◯さんともセックスしやすくなりそうですよね(笑」と、さりげなくアピールしてみました。

「私とですか? まぁそうですね。でも、小道さんって、どんな女性がタイプなんですか?」

「ぼくは、◯◯さんみたいな女性ですよ(笑」

「具体的じゃないから却下です(笑」

「すごく具体的じゃないですか(笑。じゃあもっと具体的に言うと、乳首をチューチュー吸いやすそうな女性ですかね(笑」

「あー、そこねぇー。じゃあ私かも(笑」

「でしょ? 今度、個室居酒屋に行って、ぼくがひたすら乳首を吸ってるっていうの、どうですか? お互いに色々と我慢しなきゃいけないから、興奮しそうですよね」

「あぁ私そういうストイックなんだかプラトニックなんだか、エロティック(ほぼこれか笑笑)なんだか分からないこと、ツボ過ぎるから困っちゃうんだよなぁ笑」

という、いつもと同様に、ぼくが「セックスしぃ〜まぁ〜しょ!」と誘って、その女性にフラれるというやり取りを楽しんでみました。

えーと…なんの話だったか……

そうそう、生きる意味でしたよね?

なんかアリンコって、みんながバタバタと忙しく働いているイメージがありますけど、全く働かないアリもいるらしいんですよね。じゃあその働かないアリが、生きている意味がないかと言えば、そうではないっていう話。なんでだったかは(正確な答えを)忘れてしまったので、興味があれば調べてください。

一昨日あたりにヤフーニュースかなんかで「独身男性の寿命が、ほかと比べて明らかに短い」っていう話がありました。理由ですか? 分かるわけもないですけど、生きたいっていう意識が希薄になっちゃうんじゃないでしょうか。

なぜ生きるかといえば、大した理由なんてないと思っていますが、生きる意味を考えがちの人は、どこかに属していた方がいいかなと。宗教でもいいんですけど、なにか軸になるような集団に属していると、いいかなと。

例えば、誰しも「人間」とか「日本」とかっていうグループに属していますよね。で、生きているだけで、各集団にとって意味があるし貢献しているんですよね。働く人=生産者がいれば、逆にそれを使う人=消費者がいるわけで…どちらにも属さない人は、生きている限りはいません。

例えば、昼間に一人でカフェでスマホと睨めっこしている僕の周りには、学生さんや仕事途中の人たちがいるんですよね。それで僕を見て「こういう仕事してなさそうなヤツみたいには、絶対にならない」なんて思ってくれるかもしれません。そうしたら、ぼくは何かの思いを強くするためのキッカケを生産したわけで、ぼくがカフェでスマホをいじっている=生きている意味が、少し増すというものです。

でもそうやって、僕みたいにノーテンキでポジティブな人ばかりじゃないですよね。「人間」とか「日本」とかっていう大きな単位の集団に属している意味=そこで自分が生きている意義って、とても感じづらいんだろうと思います。

そこで誕生したのが、宗教だったりするんでしょうね。あとはもっと小さな集団だったりコミュニティ……◯◯町会みたいなね。あと、芸能人の◯◯のファン集団だったり、同じ対象を推しカツしている集団とかもそうですよね…趣味を同じくする人たち…noteでいいねし合うプチ仲間とかね。「◯◯は素晴らしい」ということを、みんなで共有し共感することで、おそらく生きる意味をより想像できるようになるんだと思います。つまりはアイドル(偶像)崇拝です。

宗教やオタ活とか推し活に抵抗がある場合には、夫婦っていう集団を作りたがります。結婚しないの? 結婚したいな…と言うのに対して、「なんで?」とは、(日本の現代社会で育って生活していたら)通常は思わないんですよね。賛否ではないです。ただ、求めてしまう人が多いのは確かです。そして妻か夫と互助関係みたいになることで、生きる意味を少し見出すのかもしれません。

さらに人間も他の生物と同じく、生殖活動をしてしまいます。どうしたってセックスしたくなりますよね。ぼくは、愛しているとかは、けっこう瑣末な感情だと思っていて、単にセックスする理由づけに過ぎないとも思っています。そしてセックスすると子供ができます。

そうやって子供が増えると、集団の構成員が増えると、特に親たちの生きる意味が増していきます。だから、よく思われているような「子供は育ててくれる人(親)に感謝すべき」なんていうのは、誤りではないけれど、「親は、生きる意味を明確化してくれる子供に感謝すべき」と、一体であるべきなんですよね。

まぁnoteとかSNSもそうですよね。「いいね」とか「フォロー/フォロワー」とかで、どんどん集団化していくわけです。「いいね」されたら、読んでないけど「いいね」を返すとか。そうやってnote集団というか、小さなコミュニティの構成員になっていく。noteに書くために何かをするというのも、とても意義深いです。

ということで、そろそろ意味不明になってきたので、ネタを探しに出かけてきますかね。


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