実は

「教える」と言う日本語が嫌いです

何か…上から目線で

何か…型にはめようとしていて

これはこうするんだ…

これはこうしなさい…と

親が子に

教師が子どもたちに…

しまいに「教えてやってる!」とか…

そうじゃない感があります

だから私は

「伝える」と言う言葉が好きです

親が子に

生きる術(すべ)を

伝える…

言葉だけではなく

親の背中を

親の生きざまを

子どもに見てもらう

親も堂々と子どもに見せる…いや

見てもらう

格好いいことも

格好悪いことも

嬉しいことも

悲しいことも…

それが

子どもの生きる術(すべ)に

なるのだから

子どももひとつの人格

子どもは立派に判断できる

子どもが迷えば

私はこうする

私はこれが好き、これが嫌い…

子どもに判断の材料をどんどん伝えて

あげたらいいと思うんです

子どもに判断を任せる、任せてみる

これが親として大人として

子どもとの信頼の始まりだと思います

最近教師の不祥事が多い

異常です

何が聖職?

何が師?

子どもを一番信頼していないのは

教師ではないか

教 師

教 諭

漢字を並べてみて

不祥事を起こした

不祥事を見て見ぬ振りをした

彼ら彼女らは

どう思っているのでしょうか…

聞いてみたい

子どもたちに

伝えて

判断してもらって

信用して

見守る

子どもたちが

判断を誤っても

いいじゃない

大人たちが

また伝えてあげれば

決して

甘やかしてるのではない

ゆとりなんかでもない

子どもは

痛い目に遭いながらも

恥ずかしい思いもしながらも

悔しい思いを持ちながらも

自分で判断して

生きて行きます

親や大人に

見守られながら…

そして

親や大人になって行くんです

野生動物と同じです

親から

生きる術を伝えられ

生き残れるか

命を紡いで行けるのか

同じことだと思います



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