見出し画像

#2 先生の不登校の理由。

 いつもご覧いただきありがとうございます。

 今回の内容は前回の長ったらしい記事の続きですので、気になる方は#1 の最後のまとめ部分だけでも見ていただけると良いかと思います。


 私が採用された都道府県の教員は、初任地は必ず自分の実家がある地区から離れたところに赴任されます。私も、実家から120kmほど離れた市町村で一人暮らしをはじめました。大学は実家から通える距離だったので、一人暮らしは初めてでした。

 母にはこれ以上苦労はかけまいと、今まで散々苦労をかけた分以上に自分が稼いで、家族を経済的に支えたいと思っていました。

   家庭の事情を鑑みると、なりたくてなった、ならせてもらったこの教師という職業を、いくら辛くてもしんどくても辞めるわけにはいかなかったのです。その覚悟で選んだ道でした。

   しかし、仕事をしていく中でうまく交わしたり都合よく解釈したりしても正直耐えられないことがよくあったのです。決して私だけが被害者だと言いたいわけではありませんし、これ以上に露骨で悲惨な状況も現場にはあると思います。

 私の学校には各教科の市町村内、県内でもトップクラスの研究熱心な先生方が集まり、気遣ってくれる心の温かい先生方がたくさんいました。年齢の近い先生方も仲良くしてくれました。すごく恵まれた環境だなと、周りの同期の話を聞いていても思います。

   では職場の人間関係で何が引っかかったのか、それは、1番よく接する学年主任と校長先生でした。

   当時の学年主任は、真面目で責任感が強く、完璧を求め完璧にこなす、まさにできる人、という感じでした。1を尋ねて5くらい教えて下さる方でした。
   しかし、自分の体調や機嫌が悪い時、疲れてくる週末にかけては、1を尋ねて1返ってくる、じゃあ私は別の仕事をあれもこれもやらなきゃいけないので。という感じになるので、それ以上は聞けませんでした。
   職員室にいようとどこにいようと、私とほかの先生との声のトーンが明らかに違い、子どもの前だろうと私のミスを指摘する。これが当たり前だと言われればそれまでかもしれませんが、私からしたら辛いことでした。
   後から話を聞けば、どうやって若者と接していいか分からなかった、あっち(私)から壁を作っていたように感じた、自分のアドバイスを無視されたように感じた、と言われてしまいました。ちなみに、自分のアドバイスを無視されたように感じたというのは、私が頂いたアドバイスや方法をなかなか行動に移せなかったからであり、無視していたわけではないのです…。とんだ誤解でした。。

   校長先生は、学校運営やリーダーシップとしては優れた方だと思います(興味なすぎてこれくらいしか出てこねぇ…)。しかし、自分以外の人間に対するリスペクトがあまりにも無さすぎるのです。自分が本当にすごいと思うのは、実績を積んで結果として出ているものだけという感じがします。
   当時私が担任していた学級は校長室から1番近い教室で、校長先生はよく覗きに来ていたのですが、ワチャワチャしているのをなかなか抑えきれずにいるのをただ見ているだけで、あとで、あなたのクラスが1番うるさいと注意されるのでした…。
   私の母に会えば、母の職業と違って教師の仕事は責任の重さが違うと面と向かって言いますし、
通っている精神科の先生のことも、あの先生の言ってること大丈夫か?と、専門家でもないのに専門家を批判するし、
やっと学校に来て軽い作業を頼まれるようになってこなしていると、それを、人間らしくない仕事だと言われ…。
   病休に2〜4ヶ月目の間は、毎日起きた時間と寝た時間をメールしなくてはならず、忘れた日は「忘れた理由は?」と聞かれ、メール自体がストレスになっていました。病気休暇だよ?休めないよね???という感じでした。


   悪口や愚痴のオンパレードになってしまいましたが、せっかく良い先生方が周りにたくさんいるのに、それ以上にその人たちからの圧力や言葉、出来事が上回ってしまっていました。

   大変なことから逃げたい、めんどくさいことは避けたいのではないのです。むしろ私は、今までより厳しい道を選んで生きてきたと自負しているので、授業や事務処理、成績処理、どれも難しくて大変な仕事ですが、経験を積んでどんどん成長していきたいのです。

   でも、それを阻むもののひとつが人間関係にありました。
   別にそれらの言葉に対して何も思わないとか、気にならない人は沢山いると思います。でも、直球を真正面で受け止めすぎてしまった私はもう身も心もボロボロだった事に、親に止められてから気づきました。

   子どもの可能性の芽を摘んで伸ばしていく仕事。子どものいい所を見つけて褒めてあげるというのも教育の一貫です。そんな仕事を私の16倍、37倍やってきた褒め上手な先生に1個も褒めてもらったり認めてもらったりしたことがありませんでした。だから、本当に自分には良かったところも無ければ頑張りも伝わってなかったんだなと思うと、すごく悲しくなりました。

   朝起きれないのもそういう体質で、仕事の要領も悪くて、人に頼ることが苦手な私がダメなんだと思いました。

   悔しくて悔しくて、できない自分を責め続けました。

   校長先生からは、とりあえず病院に言って見てもらいなさい、診断書もらってきなさい、と。

   母もいつの間にか、無理しないで休んだら?あなたの人生まだ長いんだから、教師じゃなくても稼いでくれればそれでいいから、応援ではなく、そんな言葉をかけるようになりました。

   あぁ、やっぱりもう子どもたちの前には立てないんだ。立つべきではないんだ。この時の私はそうやってどんどん絶望の一途を辿っていきました。


   こうして、計180日の病気休暇をとることになりました。


   今回もここまで読んでいただきありがとうございます。
   次回は、病休中と現在の休職中、何してるの??ということと、病院での診断についてお話できればいいなーと思っています。


   更新頻度はバラバラですが、最新の記事から1週間以内にできればいいなというのが目標です。

   そして、前回や今回のような病気休暇のお話の他にも、個人的な問題提起や、社会に対する物申し、自分の興味ある分野についてなど、ほかのカテゴリーでも書いていければいいかなーとも思います!

   「、」と「。」だけの文書だとメリハリないので、もうちょっと砕けて書いてみます_(:3 」∠)_

   より読みやすい文章になるように、日々修行ですね!


   それではまた。


★前回の記事にたくさん「スキ」して頂きました!ありがとうございます!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?