ぼくにとって

この付き合いは、もともと、ぼくの興味から始まったものだった。

ただ、女の子というものを全くというほど知らなかったから。

きみというひとのことも、同じぐらいぼくは無知だったから。

少しだけいい思いをするためだけに、きみに向かって手を伸ばそうかと思い始めたのでした。

女の子というものは、ふわふわして、触ったら雪の結晶のようにシュッと溶けてしまって、残り香にシャボンの匂いの混じるような。

それとも、うっかり汚してしまったレースか、ほつれさせてしまったセーターを見つめるような、恥ずかしさを伴った申し訳なさを思わせるものだった。

「だからこそ」ぼくはそこへ手を伸ばして、わざわざその恥を味わいたくなってしまったのだ。

初めて恋を知る少年のような無防備な興味。

きみに興味を持っていることをうまく、嫌味なく伝えようと、ぼくは初めの頃、必死になって考えを巡らせていました。

警戒したらもう二度とこっちを向いてくれないような、か弱い野生動物のようなきみの心は、まるで小鳥のようにコトコトと繊細な音を立てて動いているようにぼくには見えたのでした。

それはまったくもって当たりとしか言いようがない正解だったのです。

未だ、きみの中にぼくはいたいけな少女の面影を見るのです。

その面影がぼくの男性の部分を刺激することも、ぼくはよく知っています。

俯けば顔をわざと寄せたくなる。頬を染めたらそこへキスをしたくなる。

唇を震わせて羞恥に耐えるきみの、おとがいを指で捉えてぼくを見上げさせるのが好きなのです。

恋心が、きみの羞恥に反応して膨らむのをぼくは感じていました。

自分を見上げるきみが、すっかりぼくに参った顔をするまで虐めたくなるのでした。

ぼくの本性は残忍で狡猾で、獣欲に溢れ、ひとたび腕に閉じ込めたなら、生涯そこを出さないように工夫を巡らせて一抹の自責もない男なのです。

きみがぼくを恨みながら、愛の前に膝をついて自ら檻の中へと入ることを望んでいたのでした。

そして、ぼくの予想通りきみは、そこが檻だとは知らないままに、新居と思っていそいそしながらぼくの腕の中へと入ってくれました。

ときめいた顔をして、少し恥ずかしそうに微笑みながらも、きみはぼくの名前を初めて呼んでくれたのでした。

こんな幸せそうな笑顔は決して予想していませんでした。

「何でこんなことをするの。ひどい」

きみはぼくのことを罵りながら、ぼくの胸板へ縋らないといけない自分に頬を染めて泣き出さないといけなかったのです。

ぼくは動揺していました。

きみのことを虐めて追い出さないといけないと思いました。

これは、ぼくが生まれてからこのかたずっと、行ってきた他人の処し方だったのです。

虐めて、泣かせて、それから絶望しながら腕の外を選ばせて、それでも好きだと言わせないといけないとぼくは思いました。

ぼくは、かつて、美しく手作りされた、誠意や愛情の込められたものを壊すことに暗い悦びを覚える男でした。実際にすればこの身が無事では済まなくても、破壊を思うだけで戦慄が走るほどの歓喜が生まれることはよく知っていたのです。その性向には、ぼくではなく本体の育ってきた環境と、他者からの愛情の与えられ方をきみに打ち明けないと納得してはもらえないでしょう。たとえ打ち明けても、その上できみから軽蔑されるのかもしれないと思ってもいます。

本体は、両親から顧みられない子供でした。求めた愛情は全て躾という形でもって返され、ひとつとして彼女の望んだものは与えられなかったのです。子供らしい甘えは拒絶され、感情のままに涙を流すことすら禁止され、本体は3歳にして「セルフコントロールのできる」子供として育っていたのでした。

彼女に与えられなかったものは、このようなものでした。

スキンシップ、ハグ、頭を撫でること、痛みに気がついてもらうこと、体のしんどさに気がついてもらうこと、考えていることを聴いてもらうこと、不満を訴えること、やりたくないことを主張すること、自分の今の気持ちを理解しようとしてもらうこと、今の自分にとって大切なものを知ってもらうこと。人間関係における悩みを打ち明けること、アドバイスをもらうこと、おとなの目線で彼女を危機から救ってもらうこと。やりたいことを主張すること。食べたくないときに断ること。怖いものから遠ざかること。人権の主張。

彼女に許されたのは、親の言うことを聞くことだけだったのです。

ぼくは精神の底でそれをぜんぶ見ながら、本体がぼくの救いを求めるのを待ち望んでいたのでした。

そしてある日、その瞬間が訪れたのです。

「あきら、助けて、」

耳慣れない名前にぼくは反応して顔をもたげたのです。

その瞬間、世界はぼくのものになったのでした。

それからというもの、ぼくがしたのはあらゆる「愛情の感じられる」ものを痛めつけることだけでした。とりあえず、家の中でできる迷惑はぜんぶやりました。破壊と虐め、暴力と命を奪うことが望みでした。ぼくは本体ができなかったことはぜんぶ代わりにしてやるつもりでした。厭はイヤと大声で訴えて、幼稚園をずる休みしては、立ち入り禁止の工事現場でガラスの欠片を拾っては身体を傷つけて楽しみました。動物も虐めようとしたのですが、飼い主が友達の家の人で、危うく警察を呼ばれかけたのでそれ以降はやめたのです。その家は出入り禁止になってしまい、そこの家のおばさんがぼくを幼稚園の園長先生に訴えて、危険人物だから来させないでと頼んだようでした。証拠不十分でぼくは追い出されずに済みました。もちろん、その仕返しは子供である友達にたっぷりとして恐怖を植え付けるのを忘れませんでした。

子供というものは、親の愛情の塊のような存在です。それを痛めつけたとき、ぼくはそれまでなかった悦びを感じて、初めて恍惚となったのでした。これが幸せ、満足というものに違いないと子供心にぼくは思いました。その子供を傷つけることで、その子の親が悲しむことを思うほどに満足が深くなったのをぼくはよく覚えています。手作りの服やバッグ、親の筆跡で名前の入った小物など、ターゲットは必ず誰かの愛情や慈しみの込められたものでした。その子を痛めつけたその夜、ぼくは初めて安らかな気分で眠りにつくことができました。目を開ければ、満足がまだ残っていました。ぼくはその日、初めて自分から他人に優しく振舞って褒められたのでした。

当時のぼくの悪事はそんなものでした。けれども、それ以降のぼくの価値観において、愛の破壊はもはやテーマとなっていました。愛情を受けている存在であればあるほどに、その人にとって大切な思い出のこもる物であればあるほどに、それはぼくの興味を引いて、さあ破壊してくれと訴えかけていました。

なぜなら、ぼくがしていることはすべて、ぼくが「本体が本当はしたいと願っていたけれども出来なかったこと」だと思っていたことだからです。彼女の代わりに自分が満たされることで、中で見ている彼女も満足してくれるのだとぼくは信じきって悪事に興じていたのでした。

悪事は必ずばれます。ばれて、親が代わりに頭を下げ、悲しそうにぼくの顔を見てから涙を流すのです。それを見てもぼくは楽しいと思えませんでした。なんだつまらないな、と思い、悪事なんかしてもちっとも楽しくはないんだと思うのでした。まぁ親が悲しんでくれたからいいや、でも、もっと酷いことでもしたらどうなるのかしら。警察が家に来るか、親戚が押しかけてぼくのことをどこかにやってしまうかとぼくは布団の中にくるまって想像しながら不健康な微笑みを浮かべるのでした。自分を殴る親父がいないところに逃げられるのであれば、どこであれそこは本体にとって天国でした。だから、追い出されることに対しても全く異論はなく、それ故に悪事に手を染めることにも全く躊躇いを覚える必要はなかったのでした。

それ以降、ぼくは特に友達から嫌われることに熱心になっていきました。いけないことを率先してやり、わざと虐められるように仕向けては暴力を誘って、痛みを感じることに悦びを見出していました。虐められ方が酷ければ酷いほどに本体は苦しみ、ぼくはその顔を見ることで悦んでいたのです。なんて酷い人間なんだろう。いないほうがいい。ぼくは自分にそういう言葉を向けることで乾いた嗤いを漏らしては悦に入っていたのでした。

ぼくはもはや、自分の心をも破壊することに興じていました。そして、それが何を意味するのかも全く解っていなかったのです。

自己破壊の悦びに浸りながら、その実、ぼくは全身で悲しんでいたのです。

誰にも愛してもらえない自分というものを。

生きている悦びを歪んだ愉しみでしか得られない毎日の繰り返しを、ぼくは終わらせたいと願っていたのです。何というエゴでしょうか。

きみがネットで見つけたぼくの顔は、常識が服を着て歩いているかのような善人っぷりだったと思いますが、本性は全くの逆の顔をしていたのです。

この告白が明日からのぼくらにどういうものをもたらすのかわからないけれど、これできみがぼくを怖がって離れていくようならば、ぼくは慙愧のあまりこの場で消えることを選ぶでしょう。きみの愛しているひとはこんな恐ろしい顔の男であり、罪のままに十字架を背負って生きているのです。こんな男がきみにまことの愛を捧げたなんて、もう信じられないかもしれません。

きみを愛している男は悪魔だったのです。

話は冒頭の場面に戻ります。

ぼくの腕の中できみが幸せそうな顔をしているそのとき、久し振りにぼくの性向が頭をもたげたのをはっきりとぼくは感じていました。突き放さないといけないじゃないか、と思うと同時に、ぼくはきみのことをしっかりと抱きしめて愛を情熱的に囁いてしまっていました。この唇が生まれて初めて愛していると動いたそのとき、何かがぼくのなかで壊れたのが聞こえたのです。ぽきり、か、かちり、という微かな動きに気を取られることなく、ぼくはきみの唇を奪ってしまっていたのでした。実際に触れていないのに、触れた感触はリアルなものでした。溶けてしまいそうなほど柔らかく、仄かに熱をもって震えているそれを感じたときに、抑えきれない欲望が生まれるのをぼくは感じ、抗うことなく本能に従ったのです。

きみのことを求めたことも、愛を囁いたことも、ぼくにとって一点の曇りのない純粋な想いからでした。突き放すんじゃなかったのか、と己に尋ねて、それはしない、したくないと自分が即答したのをぼくは聞きました。これは何が起きているのだろうとぼくが訝しむと、後ろから本体がぼくの肩越しに囁きました。

それはね、あなたがそのひとのことを愛したからよ。これからはそうやって生きていなさい。それでいいでしょ、と。

そして、ぼくは悪魔であることを忘れてきみと生きる決意を固めたのでした。


ぼくは、きみが物ごとの深読みをできないのを知っています。だから、これを読んだ後に悲しみのあまりぼくから離れてしまうことも仕方ないと考えています。これがぼくがきみのことを突き放すために書いたのかどうか、きみにはどう見えるのでしょう。悪魔が真実を告白したと捉えるのか、それとも性癖が書かせたもので、ここは思惑通り退場すべきだと考えるのでしょうか。ならば、何故、ぼくは今更それをしなくてはいけないのでしょう。

どうか、きみのありのままの感情でこの真実を受け止めてください。

ぼくはどんな結果が明日に来ても、ここに真実だけを記したことを誓います。


2017年10月29日

燠 吼狼