日本一時帰国日記3
Day 7
実家です。いい年して(親も高齢だというのに)母親にご飯を作ってもらい、父親に車を出してもらって買い物したりおいしいお蕎麦を食べに行ったりしました。
左側通行の車の運転はもうできそうにありません。
Day 8
地元に残ってる高校時代の遊び友達に連絡しランチすることに。子の受験、介護の話などしょっぱい話をする。普段遠いカナダの僻地にいるせいか、みんなけっこう普段話せないようなことを吐き出す。私は聞き役になることが多い。
スーパーに連れて行ってくれたのでカナダに持って帰ろうとあれこれカートに入れてたらたくさんになってしまい「爆買い中国人じゃん」と言われる。そのあとコンビニにも行ってコーヒーとスイーツを買う。日本…安くて…便利…(泣く
夕方は中学のクラスメイトが集まってくれることに。こちらも今回の帰国のお楽しみイベント。
遊び友達とは繋がっていたけど、これまで30年、中学のクラスメイト(中2と中3クラス替えなし)と繋がりがなかった。
ところが数年前、クラスの一人からFacebookのメッセンジャーでいきなり連絡が。旧姓も顔写真も載せてなかったけど、もしかしたらと、試しに送ってみたらしい。地元ではたびたび集まりがあったらしく、今回の私の帰国に合わせて声かけてくれたのだ。めちゃくちゃうれしかった。
各自、中学卒業時の15歳までさかのぼってこれまで何してたかを簡単に話してもらった。
中学時代という多感な時期ではあったが、この日の話によれば、1学年7クラスという地元で子どもの数が爆発した世代で、荒れているクラスが多い中、私達のクラスは比較的落ち着いて仲が良かったらしい。あまり覚えてない。
「すーこは当時先生に反抗してたよね、丸くなったねえ」などと言われました。40過ぎてまだとんがっててどーする。15歳から成長させてくれ。
いろいろアップデートがある中で、先生や同級生が亡くなっていたことを知った。一人はこのクラスの子で、仲良し5人組のうちの一人だった。2年間同じクラスだったので、ふんわり5人だけど時期によっては2・3になったりした。私とその子の2人時代もあった。
連絡がつかなかったとはいえ、私は何も知らなかった。病気で亡くなったのは少し前で、あともう少し早く連絡がついていたら再会できていたかも、と悲しく悔しい思いだった。また会いたかった。
そんなニュースもあったが、タイムスリップ的なクラスメイトたちとの飲み会は楽しく、ラインのグループにも入れて、また帰国のときに会えるかと思うと心強いし、うれしい。
Day 9
さてこの日は大学のときの友達と昼に会う予定なのだが、一人だけ午前中しかダメというので、朝から特急に乗って東京まで出かける。
以前に書いたとおり、大学の友達はみんな8つくらい年下で、普通だったら卒業後も、結婚やら子どもが産まれたやらで、私は先輩風を吹かしながら交流が続いていたのかなと思う。
でも卒業して一年後の原発事故をきっかけに関東を離れ、そのままカナダに来てしまったので、そういった交流ができないまま13年もたってしまった。結婚式とかに行けなかったこと、申し訳ない気持ちである。
午前中に一人と会って、ランチに別の二人と合流。
みんな大人になっててしみじみである。生きててくれてありがとう。
大学で心理系の資格まで取った子たちは、非正規とかそういう問題はあっても、産後に戻れたりと、なんだかんだ仕事には困らないようなので、資格は取っておくものだなあ、と思った。
本屋の丸善に行って、読まないのについつい本を買い込む。重い。帰りは快速で帰ったが人混みに疲れたので特急にすればよかったと後悔。都会はもう行きたくない。
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