2023年が終わり、2024年が始まりました
お正月になると、文章を書きたくなる病です。
思考の整理。お正月休みで、心と体が休息できた証拠なのかもしれません。
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12月の中頃でしょうか。風邪をひきました。しばらくお休みして「なんにもしない」時間がありました。それからでしょうか。なぜか気持ちが穏やかになりました。きっかけは、体調不良しかないのに。静養がいい転換期になったように思います。しんどかったけど。割としんどかったけど。
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2023年は、焦燥感を感じる一年でした。
おそらく、職場の人間関係が原因だと思うのですが、自分で自分をコントロールできず、ずっとふわふわそわそわしていたように思います。
仕事を辞めようと決意したのは5月でした。それも大きな要因だったのかも。未来への不安や焦り、プレッシャー…。そして嫌われることに慣れていないなか行う仕事。それが週に5日。人の態度に自分の気持ちが決められる日々。
嫌われることって、こんなにしんどいんだなと2023年は強く感じました。
ありがたいことに、私はこれまでいじめにあうこともなかったし、合わないとなると互いにフェードアウトしていく人間関係の中で生きてきました。
「こんなにあからさまに、それも周りを巻き込んで嫌味をいう人がいるんだ」新たな発見でした。それが私より40も上の人なのです。前職柄、いろんな高齢の方を見てきましたが、こんな人はいなかったので、本当に驚きました。世の中には、本当にいろいろな人がいるものです。
職場には、私のことを信頼してくれる人も、話を聞いてくれる人もいます。
でも嫌われて、いろいろやられるという現実はあるわけで。組織(仕事)に所属していても、どこか孤独感を感じていました。
仕事以外に、なにかのコミュニティに所属していると、そちらで吐き出せたのかもしれませんが、いかんせん私はコミュ障。仕事以外に人とのつながりを持ちえない生き方をしているので相談したり吐き出せる人もおらず。
自分の暮らしが、地に足がついていない感覚。
一人で生きることは、自分が選んだ道だけど、後悔はしていないのだけれど。それでも自分の選択に押しつぶされそうになっていました。
なんのために生きているのだろう。楽しいことも、したいこともないのに。
いつしかわたしの中は、希死念慮でいっぱいでした。
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ふと、Twitter(Xですね)でこんな記事をみかけました。
・究極の入浴法、①40℃のお湯に肩までつかる ②入浴時間は20分ほど
この2つを実践するだけで本当に疲れにくくなる。
・まるでこたつソックスは本当に温かい、マストアイテム
というもの。
今年の職場は空調工事で暖房がつかないし、毎年冷えも強い(でも対策しない)ので、なんとなく実践してみようと思ったのです。本当になんとなく。ひとまず水道代なんて気にしないでおこうと決めて。
それが効果抜群。いままで感じていませんでしたが、人間寒いという感覚は、本当によくないのだなと実感しました。
日中、本当に体がポカポカするのです。周りは寒い寒い(高齢の方が多い職場ということもあるのかも)というのですが、ひとりその話には共感できず、だんまりするほど。あとは、なるべく温かいものを飲んで、毎日ストレッチして。いろんな人が「冷えはだめ」と言う理由がようやく、この年になってわかりました。なんだっけ、空腹と寒いとあとひとつは生きていくうえでよろしくないらしいですね。
そんな感じで11月の終わりから、体を温めることを大事にする暮らしをしていました。
多分、これが転換期の下地。
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あと、人の人を見る言葉に触れていたのもきっかけになったように思います。これもTwitter(X)。本当、Twitter(X)に生かされていますね私。
そこで、「あぁ、こんな生き方(自分)でもいいんだ」と思えるようになったのが、大きな変化だと思います。
これまで、別に許されたいと思っていたわけではないし、十人十色、私は私であなたはあなた、と思っていたのですが、どこか自分の考えに、自分が思う常識に縛られていたように思います。
評価されたい自分、求められたい自分、できることをアピールしたい自分、褒められるのはいつも自分でありたい…。でもそんなこと出すと恰好悪いので、ひたすらそれを隠す自分。
怒られたり、注意されることは恰好悪いから大嫌い。きれいごとを言って、自分を世の中の基準で正当化する。こういうとき、こう言っておけば、世の中的に称賛されるんでしょ、みたいな。
それがね、すーっと消えていったのです。「まぁそんなことどうでもいいか」と。
「「自分の人生」を誰かにゆだねず、他人の評価に心を揺さぶられないで」という言葉が、ストンと落ちました。
人は、群れで生きていく生き物ですから、一人で生きていくことはできません。それは古来から現代まで変わっていない、人の本質。
自分勝手に我が儘に、他人のことなんて知りませんと生きるのではない。かといって、他人を気にするがあまり、自分を心を犠牲にするのも違う。それでは生きていけないのです。
そう。自分の人生は、自分の評価で生きていく。
他人を変えることはできないけれど、自分は変わっていける。
自分の評価も変わっていく。でも、それでいいし、きっとそういう適当な感じでいい。
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「人は変わらない」
これは人と関わる中で、大人になった私が知ったこと。この言葉をずっと「他人の行動を諦める理由」にしていた自分にずっと違和感がありました。
変わらないから、なにしても許されるのか。変わらないのはその人の責任なのであって、周りが苦痛を感じる必要はあるのだろうか。
なにより、人は変わらないと言ってしまうと、自分自身の成長はもうないと言っていることと同義になるのではないか。そんな風にもやもやしていました。
「人の本質は変わらない、でも自分自身は変えていける」
そんなふうにいまは思っています。きっと、私も潔癖であるところとか、人間関係を構築することに怖さや億劫さを持っているとか、毎日のルーティンが落ち着くとか、そういう本質は劇的に変わることはないと思いますし、変えようとも変える必要性もいまは感じていません。
でもきっと、変えたいと思って行動すると、変わっていけると思います。こういう自分って、素敵よね。だから、こういう自分になりたいんだ。
そう思うと、自分の人生に希望や意味が見いだせるように感じます。
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世の中、意外と適当なんですよね。適当で成り立っているのです実は。
この世のすべてを自分事として悲観したり、納得させる必要はないんだと最近気づきました。まじめですね。なんてまじめなわたしなんでしょうか。
新年早々、たくさんのできごとが起きています。でも、それに私の心を痛めてもどうしようもないのが世の中です。痛めている暇があったら、自分のできることをすればいいのです。募金したり、パンを買うときはヤマザキパンを選んだり、防災グッズを見直したり。
考えないように、切り捨てるわけではない。かといって、過度に同調する必要もない。結局は世の中の出来事の大半は、自分から遠いところで起こっている。素人がいってもどうしようもないことがほとんど。かといって、自分の生活に無関係か、というとそうでもない。だからこそ、できることだけでもしていく。そんなふうに、適当に、世の中とほどよく生きていく。
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人のことも、世の中のことも、ほどよく適当に。
自分の人生を、自分の評価で生きていく。
そんなふうに考えられるようになったから、焦燥感や希死念慮から脱却できたように思います。
さて、2024年はどんな年になるのでしょうか。
どんな年にしたいか、楽しいことを考えながら、お風呂に入ってきます。
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