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映画『法廷遊戯』 感想〜ユウキカオルは何を思っていたのか〜


 映画版『法廷遊戯』を原作未読段階で鑑賞した結果、私は何故かユウキカオルという人物の考えや感情が気になって仕方ない。この感覚が消えてしまうのは勿体無い気がするし、今後円盤購入もするだろうし何回も観た後で何かがはっきりわかるようになるのかも知れないと期待して、自分はユウキカオルの何が気になるのか、彼の存在に何を感じたのかを整理しておく。あくまでも私が個人的に物語の中で〝面白い〟と感じたポイントがこのキャラクターの存在と考えの所在だったというだけで、私が感じた感覚や物語の解釈は正しいとは言い切れない。むしろ原作を読んだり繰り返し映画を鑑賞すると変わっていく可能性もあるとも思っている。




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・カオルがセイギに向けた感情は完全に復讐だけだったのか
→どうしてもそうは思えない。絆を映す描写は多くはないがセイギのカオルに対する声色や表情がとても嬉しそうな所や、ラストシーンを考えると2人の関係性が復讐のためだけに作られたものだとは思えなかった。

・逆にセイギはカオルに対してどれくらいの友愛を向けていたのか
→やっぱり描写は多くはないが初見で見た時のカオルに向けた声や表情の嬉しさ、カオルが亡くなってから夢の中にカオルの姿を見て話しかけるくらいなのでそれなりの想いを向けていたのではないかという印象を受ける。

・カオルはセイギを赦そうとしていた?
→カオルは「目には目を、歯には歯を」を寛容の考え方だと言っていた。カオルはセイギの過去を明るみし好奇の目に晒すことや社会的地位を失わせる事で「目には目を、歯には歯を」で罪を赦そうとしていた?

・カオルは何故セイギが真実を知ったら罪を償うだろうと思ったのか?
→カオルはミレイが裏切る可能性を考えて保険をかけた。それはミレイが裏切りカオルが亡くなった場合、セイギがカオルの日記が保存されたUSBに辿り着くということだった。ただそれだけであってセイギがUSBの中身を隠そうと思えば隠せたはずだ。セイギがどんな考えを持つかは分からないのにカオルは日記を読んだセイギが罪を償うとほぼ確信していたのは何故なのか。セイギが罪を償うことを決めると確信していたのはカオル自身がセイギが自分に向ける友愛の気持ちを知っていたからなのか?

・カオルはどの程度の確率でミレイが自分を殺すかも知れないと思っていたのか?
→保険をかけていたということは殺されるかも知れないとは思っていたのだろう。ただどれくらいの確率で殺されると思っていたのだろう。保険が発動した場合にミレイが1番望まない結末を迎えることを予想していたということは、カオルはミレイがセイギによせた想いも知っていたということになる。カオルが思っていた以上にミレイが狂っていたのか。ミレイがカオルが用意した結末を予想しきれなかったのか、ミレイは自分が無罪判決を受ける日、「この日が来るのをずっと楽しみにしていた、待っていた」ような話し方をしていたが、それはカオルがいない邪魔する者がいない、自分が〝守り〟逆に守ってもくれたセイギと2人きりで生きていけることを狂うほどに願っていたということなのか、カオルがかけた保険の意味などもうどうでもよくなるくらいにカオルを消したかったのだろうか。

・カオルはセイギを罪のスパラルから救ったのか?
→法廷遊戯はミレイというキャラクターの狂気性に目を引かれたが、正直どの人も狂っていた。セイギは淡々と物語の中に存在してミレイの狂気の影に隠れてはいるけどもそもそもセイギの堪えられない〝大人〟への暴力で解決しようとしてしまう衝動は普通に怖いし、ミレイの狂気を育てたのはセイギとも言えた。それでもなお淡々と法の世界に進み生きてきたことは普通ではないと思った。その物語の中で明らかな過ちを繰り返したセイギに罪を認め償う道を与えたのはカオルだった。そしてセイギの最後の表情で、カオルが準備したこの結末はあまりにも悲しいけどもこれで良かったのかも知れないな……とも思った。願わくばカオルが生きたまま、セイギが法によって罪を償い終えるその日を迎え、「目には目を、歯には歯を」で赦されたセイギとカオルが再開して、またその日からやり直して欲しかったなと思った。


 最後のワンシーンがあまりにもそう思う描写だった。またあの日からやりなそう。が叶って欲しかった。


 

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