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あの日、何をしていましたか

元首相の銃撃事件から昨日で1年が経った。あの日は、母の受診に付き添った病院ロビーで、会計待ちをしていた。予約は1カ月半に一度、金曜の10時半。母の隣でぼんやりテレビを眺めていたら速報のテロップが入ったのだった。その後1日、気もそぞろにスマートフォンでTwitterやニュースばかり見ていた。

思い起こせば、元首相が政権交代を果たした2012年12月の衆院選当日も、開票速報をテレビで見ていた。父の通夜の日、葬儀場の控え室、父の棺の横で。義父が観たいと言ってつけたのだった。

がん末期と告知されてから2カ月。2週間の緩和ケア病棟への入院を経て自宅で息をひきとるまで、父の側で多くの時間を過ごした。感情のジェットコースターのような時間の後では、歴史的な節目となったらしい出来事も画面のなかで遠かった。

その後、父の生まれ変わりのように子どもを授かって、ホルモンの力だかなんだかで半径1メートルのことにしか関心を持てない日々を経て、2015年に前の職場で再び働くことになった。もう一度、関心を1メートルから外に広げていった。

何かを経験していないことは、必ずしもマイナスではないかもしれないと思ったのは、ヘリコプターマネーという言葉につられてなぜか金融政策まわりの取材をすることになった時。2012年前後の動きが取材対象からも関心からも抜け落ちているから、いろいろなことが謎だった。なんでそれが常識、前提になっているのだろう、とたびたび引っかかったけれど、その思いを共有できる人は少なかった。

時間が経つにつれ、論じられるトーンが変わる様をみると、「何かを経験していないことは別にプラスではないのかもしれない」との思いに至った。(取材者として、あるいは発信者として)リアルタイムで振る舞っていたとしても、他人事にできるらしいとわかったから。そして人々は忘れっぽい。否、そのような記憶と検証に貴重なリソースを割いていられない。

状況が変われば見解も変わるし、過去の自身の言論にとらわれて、その正当化に突き進むことに比べれば、まだましかもしれない。でも、どこかわだかまる。

母のところを往復する日々には、細々ながら、半径1メートル外のことに関心をつないできた。行きがかり上というか、リアルタイムで動けない身で必然的にというか、関心は歴史に向かった。

そのまま歴史に足を踏み入れようかとも思ったけれど、縁あってメディアの職場に戻ってきた。母のところを往復する日々も3年で幕を閉じた。近所の施設に委ねるまでのあれこれは、自分で幕引きしたようなものだ。

1年でずいぶんいろいろなことが変わった。来年のこの日、何をしているかな。