見出し画像

誰かが読みたい本ばかり並んでいる

最近はどこもかしこもセルフサービスで、スーパーのレジにファミレスの注文それに配膳、そして図書館の貸し出しも。だいたい5年前ぐらいから急速に進んだ感があります。

そんなこんなで予約した本の回収に図書館を回る月曜、予約棚で目に留まった。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』。わかります。村上春樹の新刊『街とその不確かな壁』を読んで、双子の作品?であるそっちも読みたくなったんですね。なぜなら私もおんなじ気持ちだからです(私はうちに文庫があるのでそちらで)

村上作品は出たら即読みしてきているので、もちろん『街とその不確かな壁』も本屋さんで予約してゲットしました。でも、開いたら最後、1日没頭してしまう気がして、封印していたのです。前半は新しく始まった仕事が常に積み上がっていたので、睡眠不足になるのが怖いほど余裕がなさすぎた。

そしたら、隣席の超ハードワークの人とふとしたことから『街と〜』の話になり、その人は毎晩、寝る前に1章ずつ読んでいるというのです。激務のなかのひととき。そして、WEBに向き合う仕事とのなかで本というアナログ。「1章で止められますか?」「まだ1部読み終わったところだけれど、不思議と大丈夫」

自分も同じように読み始めてわかりました。毎晩1章ずつ、確かにいけました。構成の妙ですね。ネタバレは控えますが、1章ずつという読み方がいちばんフィットするかも、と思うほど。寝る前に子どもと布団に転がりながら、あるいは寝静まった家にそっと戻ってリビングのソファで。1日1章の日課は心を落ち着かせてくれました。

ただ、その構成だったのは1章までで、2章以降はだんだん止まらなくなり、後半は勢いがついて休日の午後に一気に読了。あぁ、1章ずつ読んでいた日々が恋しい。もう一度、あのように読める本はないものか。「寝る前本」はなにかしら置いてあるけれど、区切りがいいものという意味であれほどいい作品はなかった。

そう、『街と〜』も舞台に図書館が出てきて(これぐらいのネタバレはいいだろう)、あぁ私も図書館でひたすらページをめくる時間を過ごしたいと思うのですが、最近の図書館の使い方といえば、「ネットで予約」「予約棚で受け取り、貸し出し手続き」で人と会話することすらありません。

ただ、この予約棚で自分で探すシステムになって新たな楽しみは、他の人が予約した本がずらっと並んでいるのを眺めること。つい手にとってしまったり(NGです…あんまり長居して見ていると注意されます)。

ふと思う。ここに並んでいるのは誰かが読みたいと思った本ばかりなんだなと。本屋さんに並んでいるのは「誰かに読んでほしい」本で、書評とかも「誰かが読んでいいと思った本」だけれど、ここには、本というスタイルに示された人の興味と関心が詰まっている。それも集計されずに1点1点並んでいる。実は情報の宝庫なんじゃないか。

仕事柄、人が何に関心を持つのか、何が心を占めているのか、何を知りたいのかは押さえておかなければならない。でも、ニュースサイトやツイッターなどをその目的で見るのはなんだかしんどくて続かない。もっと個別に見たい。もちろん、ある本を読みたいと思うのも何かに影響されている(みんなが読んでるから、とか評判だから、とか)のだけれど、それでも何かに引っかかって予約ボタンを押すまでのプロセスは個別なんだと思う。