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個展「ポリフォニックな眺め」に寄せて

私は「色弱」なので、絵を描くにあたってどう色を捉え、扱うのかを考えています。
ここ1年半ぐらいは「自由」に色を扱うことについて、試行錯誤を繰り返しました。
その過程で、色を「扱う」のではなくて色に「扱われる」ような描き方をすれば良いのではないかと思い至りました。
前者は画家によって色が動くのに対し、後者は色によって画家が動くといった態度です。
このような態度を実践するために、水彩絵の具を画材に採用しました。
今まで私は油絵の具での仕事が中心でしたが、油絵の具はその渇きの遅さ故に色と色が混ざりすぎてしまい、それぞれの色の声を聞くことが難しくなります。
水彩絵の具は色を置いた瞬間からその定着が早いので、そういった問題を解決してくれました。

この描き方で制作を進めていく内に「ポリフォニー」という言葉がふいに浮かびました。
私がこの言葉と出会ったのはパウル・クレーの「ポリフォニー絵画」でした。
大の音楽好きで自らもプレイヤーだったクレーは音楽のいち形式であるポリフォニーを自身の制作に取り入れました。
ポリフォニーとは複数の自律した主題が対等な立場で響き合う音楽の形式を指します。
私が理想とする色の感じ方を「眺め」と呼んでいるのですが、それにとても近い考え方だと思いました。
ポリフォニー絵画の素晴らしさは音を色に変換している点にあります。
絵画を構成する色は音、空間はその音が響く教会やホールに変換されています。
私は目で見たものの色には先入観が入り込んでしまったり、人と「違っている」といった意識が拭いきれません。
それに抗おうとしても、逆に囚われてしまうというジレンマを抱えていました。
しかし、音に感じる色/色に感じる音に対しては先入観もコンプレックスもなく「自由」な気分で捉えることができました。
そこに気付いてからは色に対しての捻れた思いが、すっと解かれていく感覚でした。

先ほど文章内で触れた「眺め」とは「見分け」と対をなす概念として名付けたものですが、考えを深めていく内に実はこのふたつは反対にある概念ではなく、常にせめぎ合っているような関係であることに気づきました。

例えば森を遠くから見ると緑色のまとまりだという印象を受けるが、(見分け)
いざ森の中に入ってみると風に揺れる木々がそれぞれ複雑な色を持っていることに気づく。(眺め)
ひとつの葉っぱをとりあげて見てみるとやはり緑色の印象を受け、(見分け)
顔を近づけてよく観察してみると緑色だと思った葉っぱの中にも様々な色が発見できて単純に緑とは言えなくなる。(眺め)

実際の視覚においてはこのように単純な図式ではありませんが、常に入れ替わりが起こり続けます。
この色の感じ方を時間的でないひとつの平面上に表す手段としても、ポリフォニー絵画が有効に思われます。
クレーは「ポリフォニー絵画は、音楽より優れている。そこでは、時間的なものはむしろ空間的であるからなのだ。同時性という概念が、ここでははるかに豊かにあられている。」(日記1081番/1917年・南原実訳)と書き記しています。
私の手法では色をちぐはぐに重ね合わせることで色の「眺め」と「見分け」の状態を画面の中で入れ替え続けます。
わかりやすく言いかえるならば、混色による「何色とも言い難いような状態」と原色による「何色だと言えてしまう状態」のせめぎ合いが起こるように描いていく方法です。
この手法によってポリフォニックな画面を作り出しています。
音の粒のような拡散や集合がしやすい性質を持つものをモチーフとするからこそ、成立する手法です。

今回展示する作品の約半数は私と異なった色覚を持つ画家との共作です。
共作といっても、私の制作をふたりで行ったらどうなるだろうというような取り組みです。
ひとりの制作では色と色とがせめぎ合っていくのですが、ふたりの制作ではそれぞれの画家の色覚自体が自律した主題となり、せめぎ合います。
自分は気に入る色の響きを作ったつもりだけど、相手は気に入らなかったりして、別の色を重ねてしまう。
逆に自分では思いつかないような美しさが現れたら、それは残しておく。
そして双方が「納得のいく」画面になれば終わりにする。
「完璧」な画面にはならないけれど、ポリフォニーとはもしかしたらそういった状態のことを指すのかもしれない。
それは共作だからというわけでもなく、ひとりの制作においても同じようなことが言えると思います。
それが最初に書いたような、画家が主体を持たないような「自由」な絵の描き方にも繋がっていくのだと考えながら制作をしています。

※追記
今回展示している「ポリフォニーのための対話」は私とは異なる色覚を持った画家に協力してもらって制作したドローイングです。
お互いが紙にのせた色に反応しながら描き進め、気に入らなければ塗りかえ、納得がいけば残しておくという行為を繰り返していきます。
何度かの乾燥を挟み、描画を終わりにするタイミングも合意で決めます。
このプロセスによって、お互いの自律した感覚をそのままにひとつの画面を成立させることが「ポリフォニー絵画」のもとに可能かもしれないと考え、実践しました。

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